著書名 |
単著、 共著の別 |
出版年月 |
発行所・発表雑誌等 |
概要 |
幼稚園における子育て支援の在り方の探求 |
単著 |
2011年 3月 |
あいち保育研究所 研究紀要 第2号 |
名古屋市内のL幼稚園で6年間実施してきた子育て支援プログラムの問題点を分析し、2009年度の実施体制の改善とプログラムの再構成を行った。子育て支援スタッフを中心とした実施過程における評価と、親に対して年度末に行った質問紙調査による総括的評価の分析から、幼稚園の体制とプログラム構成に関する複数の条件が子育て支援事業の成果につながる可能性を見出した。PP.18-35 |
子育て支援プログラムの効果向上に資する要因の探索― 一幼稚園での実践に基づく考察 ― |
単著 |
2011年 9月 |
金城学院大学論集人文科学編 第8巻第1号 |
幼稚園における子育て支援プログラムへの参加経験が入園初期の年少児と親の状態に何らかの効果をもたらしたのかと、園児と親の要因間の関連を検討した。対象は2010年4月に入園した年少児26名(参加16;無参加10)である。園児に関する6項目と親に関する3項目をクラス担任が4段階評価した。各項目の平均値の群比較をし、さらに項目を合成した尺度の園児と親の相関を検討することによって、子育て支援と保育に対する有効な示唆を見出した。PP.134-150 |
母親のライフコースにおける子育て―母親の語りによる子育て過程の支援ー |
単著 |
2013年 3月 |
金城学院大学論集人文科学編第9巻第2号 |
専業主婦家庭における母親の意識と現状及び将来の展望に関する語りを分析し、母親にふさわしい子育て支援の在り方について検討した。研究協力者は、一つの幼稚園に通う園児を育てる母親10名である。その結果、母親のライフコース選択と子育て意識に関与する社会的・文化的条件、子育て期において母親が持つ困難や戸惑いの内容、母親がライフコースに子育て役割を組み込んでいく過程を支えたものが何であるかが明らかになった。これらの結果を踏まえ、現在行われている子育て支援策の課題を提起した。本研究は、金城学院大学大学院人間生活学研究科博士課程前期課程修士論文(2007)を加除修正したものである。pp.96‐119 |
キリスト教保育 礼拝のお話(1月) |
単著 |
2015年 1月 |
キリスト教保育連盟 キリスト教保育第550号 |
気づきあう(詩編133編1節)、シメオンとアンナ(ルカによる福音書2章22~38節)、いと小さきもの(マタイによる福音書25章31~46節)、からし種のたとえ(マタイによる福音書13章31~33節)の各聖書箇所をキリスト教主義の保育所や幼稚園において、幼児にいかに語るのかについて述べた。<保育者の理解のために>では、語り手となる保育者の聖書理解を助けることを目的とし解説した。また、<お話のポイント>では、聖書の言葉が現実世界の中にどう生きているのか、また、対象である幼児のこの時期ならではの生活体験や発達過程に即して語る重要性について述べた。<お話・おいのり>では、実際の園の礼拝を想定した語りのモデルを示した。これらを通し、キリスト教保育に携わる一人ひとりの保育者が、聖書理解を深め、各園の子どもたちにふさわしく話を準備し、語る助けとなることを目指した。pp.41-48 |
キリスト教保育 礼拝のお話(2月) |
単著 |
2015年 2月 |
キリスト教保育連盟 キリスト教保育第551号 |
気づきあう(コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章31節)、畑に隠された宝と高価な真珠(マタイによる福音書13章44~46節)、10人のおとめのたとえ(マタイによる福音書25章1~13節)、タラントンのたとえ(マタイによる福音書25章14~30節)の各聖書箇所をキリスト教主義の保育所、幼稚園において、幼児にいかに語るかについて述べた。これらの箇所は、イエスが十字架に向かう日々にあって、群衆や弟子たちに対し、「天の国」とはどのようなものなのか、来たる再臨に人間はどう備えるべきなのかについて語る部分である。幼児が、日々出会い心動かす様々な人々との交わり、砂場遊びの体験、そして、庭に植えたチューリップの球根の観察など、何気ない日常生活の場面を取り上げ、この聖書が示す神の働きが今も在ることに気付いていけるよう話を構成した。pp.41-48 |
キリスト教保育 礼拝のお話(3月) |
単著 |
2015年 3月 |
キリスト教保育連盟 キリスト教保育第552号 |
わすれないーこれからもともにー(ヨハネによる福音書10章3~4節)、香油を捧げた女(マタイによる福音書26章6~13節)、弟子の足を洗うイエスさま(ヨハネによる福音書13章1~11節)、ペトロの裏切り(マタイによる福音書26章31~35節、69~75節)、十字架につけられたイエスさま(マタイによる福音書27章32~56節)の各聖書箇所をキリスト教主義の保育所や幼稚園において、幼児にいかに語るかについて述べた。これらの箇所は、キリスト教信仰の根幹をなす重要な部分である。しかしながら、イエスが人々にあざけられ苦しみを受け、十字架にかかり命を落とすという衝撃的な記述は、幼児に語るには、大変難しい。この理不尽な出来事にあらわれる人間の罪と十字架の意味について、耳を傾ける幼児の理解が深まることを願い話を構成した。 pp.43~50 |
子育て支援者の専門性の探索ー子育て支援者の語りからー |
単著 |
2019年 3月 |
金城学院大学論集人文科学編第15巻第2号 |
わが国で子育て支援の必要性に関する認識が進んだのは1990年代以降のことであり、現場で働く子育て支援者に関する研究の蓄積は進んでいない。そこで、ある子育て支援センターで働く子育て支援者による支援実践に関する語りを分析し、子育て支援者の専門性に関する探索を試みた。その結果、子育て支援者は保護者に対し、「支援すべき対象」にとどまらず「子育ての主体者」というイメージを持ち支援にあたっていることがわかった。また、子育て支援者自身がその専門性として、「受容する」「応答する」「聴く」「繋ぐ」「試行錯誤する」「共に育ちあう」と考えていることがわかった。さらに子育て支援者は、自身が保育者の専門性を有していることで、有効な子育て支援を阻害する面もあることを体験しており、子どもを保育する保育の知識技術の単なる応用だけでは子育て支援はできず、「親子を支援する」という今までにない専門性を探求していく必要性が示唆された。また、子育て支援センターにおける支援モデルとしては、「個別的な支援モデル」と「環境による支援モデル」が存在し、両者を適宜選択するなど、組み合わせて実践することが有効であることもわかった。pp.110-119 |
題目/演目名等 |
発表年月 |
発表学会名等 |
概要 |
生活の場としての幼稚園の在り方(1)―保育の視点と形態― |
1991年 5月 |
日本保育学会第44回大会 |
金城学院幼稚園は、よりよい保育の在り方を求め、試行錯誤を積み重ねる中で、異年齢児混合クラス編成や自由活動を大切にする保育形態を取り入れた保育実践の展開を試みてきた。よりよい保育を求め続ける保育者集団の子ども観・保育目標と保育形態との関連を検討した。(児玉芽・小嶋直子・日比野直子 共同発表につき本人担当部分の抽出不可能) |
生活の場としての幼稚園の在り方(2)―子どもの生活とその環境の組み立て― |
1991年 5月 |
日本保育学会第44回大会 |
金城学院幼稚園では、「人間が人間らしく生きる力を得、生きる喜びを体験できる場」を目指し、「生活の場」としての幼稚園をどのように構成していくのかという課題に取り組んできた。本稿では、その具体的取り組みとして、人的環境、物的環境、具体的な活動の展開、さらに今後の課題について述べた。(小嶋直子・児玉芽・日比野直子 共同発表につき本人担当部分の抽出不可能) |
子育て役割取得過程における母親と子育て支援に関する研究① |
2013年 5月 |
日本保育学会第66回大会 |
研究協力者である母親17名に対し、個別の半構造化面接を実施した。この面接で得られた情報から、個人毎に出来事と支援資源のマトリックスを作成・分析し、子育て役割取得過程を歩む母親が、子どもの誕生以来の各時期に、何を課題とし、役立った支援は何であったかについて明らかにした。結果、母親の主要な課題は、わが子の発達・発育・自立への責任;母親自身の自己確認;わが子理解と受容であり、これらの課題に対しタイムリーに応えられる支援が重要であることがわかった。 |
大学が行う地域子育て支援実践から保育者養成を考える~多様化する保育・子育て支援の場への対応~ |
2017年 5月 |
日本保育学会第70回大会 |
自主シンポジウムの話題提供者として登壇し、金城学院大学子育て支援センター「KIDSセンター」での試みについて発表した。大学運営であることによる強みを生かし、金城学院の有する物的人的資源を生かした支援を親子に提供できること、また、様々な専門性を学ぶ他学科の学生が共にKIDSセンターで学ぶことで培われる協働性について述べた。その他、発表された大学が行う地域子育て支援実践に関する事例も踏まえ、今後の保育者養成はどうあるべきかについて議論した。(日比野直子・矢萩恭子・狩野奈緒子・塩崎美穂・菊池知子・松田純子 共同発表につき本人担当部分の抽出不可能) |