著書名 |
単著、 共著の別 |
出版年月 |
発行所・発表雑誌等 |
概要 |
板本『枇杷園句集』の成立-自筆稿本『甲寅秋 枇杷園句集』との関連をめぐって- |
単著 |
1996年 6月 |
日本近世文学会『近世文芸』64号 |
従来知られていなかった『枇杷園句集』の自筆稿本を紹介することにより、『枇杷園句集』の実際の編者が門弟によるものでなく、作者士朗自身であることを証明する。その上で、中興期の個人句集の出版に際して、多くは、このような隠蔽が行われていた事実を推定する。pp.58~70 |
井上士朗年譜稿 |
単著 |
1996年 9月 |
俳文学会『連歌俳諧研究』91号 |
『枇杷園文集』『甲寅秋 枇杷園句集』などの未紹介の資料を中心に、江戸期における寛政の三大家と称される井上士朗の年譜を作成する。とくに藤園堂文庫所蔵本をもとに、架蔵の資料もくわえ、壮年から晩年にかけての暮雨巷継承問題について考証した。pp.20~48 |
明和期の加藤暁台について-縦の題を中心に- |
単著 |
1998年 2月 |
早稲田大学大学院『早稲田大学大学院文学研究科紀要』43輯第3分冊 |
明和期の暁台の姿情論、和歌題の重用などの傾向を明和期の撰集『竪並集』を中心に指摘する。暁台が旧派の美濃派からどのように離脱し、蕉風復興の新風を宣揚して行こうとしたのかを、許六俳論の摂取から明らかにする。とくに、横井也有と武藤白尼との相違点をもとに、中興期俳諧の表現としての特性を探る。pp. 13~22 |
暁台の晩年と月並句合 |
単著 |
1998年 2月 |
俳文学会『連歌俳諧研究』94号 |
従来、蕪村時代の月並句合わせについては、蕪村資料が少ないため、ほとんど明らかにされてこなかった。名古屋市蓬左文庫本による、未紹介資料の調査・整備により、暁台の晩年の俳壇経営について、従来指摘されていた二条家俳諧の創始にくわえて、月並発句合の視点からとらえ直す。天保期に先んじて明和期頃から起こった月並句合の中興期俳諧史における意義についても分析する。pp.26~37 |
中興期俳諧月並句合資料-加藤暁台の点取帖・摺物・投句控 |
単著 |
1998年 6月 |
国文学研究資料館文献資料部『調査研究報告』19号 |
蕪村一派の資料が不足していたため、従来あまり分明でなかった中興期の月並句合興行の実態について、摺物などの新資料を紹介することにより明らかにする。pp. 181~209 |
中興期俳諧と取合せ論-蕪村と暁台を中心に- |
単著 |
2000年 3月 |
『国語研究』8号 |
蕪村と暁台の表現手法の相違点を、蕉門俳論の要諦である森川許六の「取合せ論」の受容の違いから明らかにする。尾張・京都俳壇における江戸座と美濃派の俳壇的分布を分析することにより、安永期における両者の語法とスタイルの類似性も証明する。pp. 73~86 |
安永期の暁台と伊勢俳壇-逸漁・樗良との関係を中心に- |
単著 |
2002年 3月 |
『国語研究』10号 |
従来言及されてこなかった天理図書館蔵「逸漁文庫俳諧資料」を調査することにより、蕪村と暁台の交渉が通説で説かれるより脆弱なものであったことを解明する。また、暁台と樗良の和歌的表現手法の相違点、およびスタイルの違いから、両者の不和の原因を明らかにする。pp. 30~49 |
暁台評『百歌仙』の成立-『江戸廿歌仙』混入の疑義について- |
単著 |
2002年 3月 |
早稲田大学国文学会『国文学研究』136号 |
暁台唯一の点取りの点巻『百歌仙』を紹介する。『百歌仙』は、版本『江戸廿歌仙』の混入という俳諧史上、希有な事象を含んでおり、この点から、中興黎明期の俳諧宗匠の浮世風の否定と、蕉風志向が明らかとなる。その上で、江戸座と地方系蕉門の距離感について考察する。pp. 105~116 |
明和期における暁台の連句観-暁台評『百歌仙』を中心に- |
単著 |
2002年 8月 |
俳文学会『連歌俳諧研究』103号 |
明和期の暁台が、中興期俳壇における全国的な連句解体の動きを感知し、蕉風復興の第一義的手段として連句指導を盛に行っていた点を重視し、暁台評『百歌仙』をもとにその連句観と門弟指導について検討する。暁台が従来、式目に忠実であったという説は、江戸座を出自とする蕪村と比較した場合においていえることであった。『百歌仙』における美濃派傍流の俳風と比べた場合、自在性を持ち合わせていたことも明らかになる。pp. 34~45 |
吉川五明と中興期俳諧-巴釣との関係を中心に- |
単著 |
2003年10月 |
早稲田大学国文学会『国文学研究』141号 |
蕪村と親しかった五明の俳諧観について、安永期の巴釣との関係、寛政期における実景重視の意味などを中心に概観する。今まで、平明な句風により、典型的な地方系蕉門の遊俳であると位置づけられてきた五明であったが、巴釣ら詩人からの影響は俳論、句風の節々にみえる。その在り方には、地方系蕉門というより、むしろ蕪村・几董等らの江戸座的なものすら感じさせる。このような流派に阿らない中庸の精神こそ五明の蕉門俳人としての意志を明確に表していたものと考えられる。pp.45~56 |
辻村逸漁年譜稿-安永期まで- |
単著 |
2003年11月 |
早稲田大学・研究と評論の会『近世文芸 研究と評論』65号 |
天理図書館に「逸漁文庫俳諧資料集」として公開されながら、従来言及されてこなかった逸漁の俳諧資料、とくに「書簡」「月次資料」を検討する。蕪村、暁台、樗良と親交のあった逸漁の俳諧資料を整理することにより、蕪村時代の俳諧における尾張・京都・伊勢俳壇の交流の様相を明確にする。pp.40~52 |
俳諧における完了の助動詞「つ」「ぬ」-江戸中期の用法と解釈について- |
単著 |
2004年 3月 |
『国語研究』12号 |
意志的・動態的な動詞に接続するというとらえかたから分類されてきた「つ」の用法が、俳諧では、発話者における現実体験の想起と表象といった側面において効果的に用いられていたことを蕪村の例から論じ、その出自の特徴について言及した。とくに江戸中期の場合、上代において多用された助動詞「つ」の使用法が、当時の国学の機運の高まりと相関性がある点についても論及したpp.13~28 |
辻村逸漁年譜稿-天明・寛政期- |
単著 |
2004年 7月 |
早稲田大学・研究と評論の会『近世文芸 研究と評論』66号 |
伊勢の遊俳で、樗良、暁台、士朗と交流の深い逸漁の晩年の俳諧活動と文化交流について調査した。天理図書館に「逸漁文庫俳諧資料集」として公開されながら、従来言及されてこなかった逸漁の俳諧資料を検討し、晩年における全国俳壇との交流、関西行脚の意義について考察する。pp.40~55 |
種田山頭火と古典-「テイル」形をもとに- |
単著 |
2004年 9月 |
国文学 解釈と鑑賞(至文堂)『特集種田山頭火』10月号 |
本論では、句において「てゐる」を多用する山頭火の特徴を考慮し、伝統的な「本意」「本情」との関係をもとに考察する。自由律俳句における「テイル」表現は、動的・静的というところに意をもちいているのではなく、動作動詞であれ、変化動詞であれ、観念的な事柄をあらわすことなく、現実体験の表出を念頭においたものであったことに論及した。pp.64~67 |
逸漁の俳諧と暁台一派-遊俳としての性質をめぐって- |
単著 |
2005年 3月 |
『国語研究』13号 |
暁台の蕉風復興運動、風羅念仏の法要に、逸漁が組みしなかった点について、再出現の逸漁宛書簡を紹介分析することにより明らかにした。また、伊勢の俳人辻村逸漁の遊俳としての特性を解析することにより、中興期俳諧において遊俳層が果たした役割を相対化した。pp.25~35 |
江戸中期における俳諧の仮名遣いについて |
単著 |
2006年 3月 |
『桜花学園大学人文学部紀要』8号 |
江戸中期の俳人の仮名遣いの特性について、蕪村・暁台・也有の真蹟資料をもとに調査・分析する。蕪村ら中興期俳人の「定家仮名遣い」の使用率が、元禄時代の芭蕉の場合に比べて低率にとどまっている点を指摘した。国学の俳諧への影響により当時の仮名遣いに変化が及んでいたことを解明した。pp.242~254 |
『暁台折手本』(仮題)の考察 |
単著 |
2006年 9月 |
俳文学会『連歌俳諧研究』111号 |
刊本『暁台句集』には自筆稿本が残されておらず、これまで、写本である『暮雨巷句巣』をもって稿本の存在をうかがうことしかできなかった。それを補う真蹟の新出資料である『暁台折手本』(仮題)を紹介し全文を翻刻した。その上で、出典を明示し、諸本との校異を調査し、『暁台句集』への推敲の過程を考えた。暁台晩年の仮名遣い資料としても貴重なものである。pp.34~41 |
暁台書簡の考察(翻刻と解題) |
単著 |
2007年 3月 |
『桜花学園大学人文学部紀要』9号 |
これまでまとまって紹介されることの皆無だった加藤暁台の真蹟書簡について翻刻し、注釈を施した。とくに、天理図書館綿屋文庫所蔵の逸漁俳諧資料におさめられる書簡群は、暁台の安永期・天明期の新たな伝記事項をつけくわえる点に価値がある。名古屋市博物館所蔵、個人蔵書簡もくわえて分析した。pp.1~12 |
江戸中期の俳諧句集における仮名遣いについて |
単著 |
2008年 3月 |
『桜花学園大学人文学部紀要』10号 |
蕪村、暁台の俳諧句集における仮名遣いの差違について調査した。蕪村と暁台における歴史的仮名遣いの使用頻度の違いが個人発句集においてもみられることを確認した。また、『士朗折手本』(仮題)という自筆資料を翻刻・紹介し、歴史的仮名遣い、定家仮名遣い、近世通行の仮名遣いなどの視点を通して、蕪村・暁台と比較・調査した。pp.172~180 |
小学校国語科における「聞く」力を育むための地域連携の試み |
単著 |
2009年 3月 |
『桜花学園大学人文学部紀要』11号 |
「国語力向上モデル事業研究推進校」である愛知県豊明市立S小学校では、朝の読書を利用した「読み聞かせ」活動と国語科の授業を有機的に結びつけることにより、「聞く」力の育成手法の確立に取り組もうとしている。「聞く」力の育成に対する実践例について、同校との地域連携をもとにした大学生のボランティア学生による読み聞かせ活動の結果を検証しながら報告する。また、小学校における読み聞かせの実態について分類し、効果的な読み聞かせ活動の展望について論じる。pp.1~10 |
暁台の句合について |
単著 |
2011年 3月 |
『桜花学園大学人文学部紀要』13号 |
暁台の自筆系の句合「逸漁亭即興句合」と「十三番句合」2点について、その成立の問題点について考察し、全文を翻刻した。また、「逸漁亭即興句合」については、既存の伝本との校異についても記した。pp.13-21 |
付け句を用いた韻文指導の実践と課題-中等教育における授業例を通して- |
共著 |
2012年 2月 |
『桜花学園大学人文学部研究紀要』14号 |
(全体概要)近年、授業の中で韻文作品(とくに創作)に嫌悪感を持つ生徒が増えており、魅力的な韻文教育をどのように提供できるのかが課題となっている。本稿では、従来あまり用いられてこなかった「付け句」に着目し、韻文教材としてどのような可能性があるかを検討する。樋口敦士(埼玉県・S高等学校教諭)の高校現場における実践活動をもとに付け句による韻文指導の過程について報告し、連句という素材が国語教育の現場において、どのような教材になり得るのか、その課題と展望について述べる。(担当部分概要)寺島徹・樋口敦士によるデータ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・樋口敦士)pp.17~30 |
曰人稿「暮雨句集」について |
単著 |
2012年 2月 |
『桜花学園大学人文学部研究紀要』14号 |
江戸中期に仙台の俳人遠藤曰人が書き留めた、『暮雨句集』という書留について考察する。『暮雨句集』とは、曰人が尾張の中興期俳人、加藤暁台の発句を四季別に記録したものである。これまで、伊藤東吉氏により、一部紹介されたが翻刻されていない。出典となる俳書をあげ、句の校異を調査することにより、この句集の位置づけについて考えたい。また、あわせて、仙台の大場雄淵の写本類も紹介し、仙台関係資料における暁台の逸句について追跡することとしたい。pp.1~16 |
加藤暁台の書簡と連句評点について |
単著 |
2012年 3月 |
俳文学会『連歌俳諧研究』122号 |
尾張の中興期俳人、加藤暁台の新出書簡と連句評点を紹介し分析する。名古屋市博物館にあらたに収蔵された墨山宛の暁台書簡とそれに付帯する連句評点2巻が、暁台の晩年のものであることを筆蹟・事蹟から推定し、壮年の貞享風から晩年の元禄風へ、その指向性が変化したことを明らかにした。さらに、新出の逸漁宛暁台書簡を考察し、安永期の雲水俳人であった北鳥が中興期の中心的存在であった暁台や白雄とどのような交流をしたのか明らかにした。pp.51~63 |
江戸期の古文教材の授業導入について-「物語」と「小説」の考察を踏まえて- |
共著 |
2012年 3月 |
『桜花学園大学保育学部研究紀要』10号 |
(全体概要)近年、中等教育における古文離れがささやかれ、授業においても興味を持って意欲的に取り組めない生徒が増えてきている状況にある。そのような国語教育における古文指導の現況を踏まえ、近世期(江戸時代)の散文作品の活用について、樋口敦士(埼玉県・狭山ヶ丘高等学校教諭)の学校現場における実践をもとに授業例を報告した。(担当部分概要)寺島徹・樋口敦士によるデータ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である(著者名:寺島徹・樋口敦士)pp.27~41 |
蕉風復興運動と『白砂人集』-『去来抄』の上梓を視座に- |
単著 |
2012年 6月 |
日本文学協会『日本文学』vol.61-6 |
尾張の中興期俳人、加藤暁台の手になるとされながら、これまで検討されることのなかった蕉風伝書『白砂人集』について、暁台系の新出写本を紹介し考察する。写本『白砂人集』の諸本に検討・分析を加え、出版への腐心の跡を検討することにより、暁台が版本『白砂人集』の上梓について直接的に関与していたことを明らかにした。その分析をもとに、『去来抄』の出版にあたり、暁台が「故実」篇を省略した理由が、『白砂人集』の出版にあることを結論づけた。pp.36~47 |
安永前期における暁台の伊勢行について-丈芝坊白居と逸漁の交流を通して- |
単著 |
2012年 7月 |
東海近世文学会『東海近世』20号 |
暁台門下の仙台の丈芝と伊勢の逸漁の交渉をもとに、安永二年、三年における尾張俳書『片折』までの交流を考察した。丈芝と逸漁は、中興期俳諧の旗手である暁台という存在を同時期に脇で支えた存在であり、とくに安永二年秋の風雅においては、暁台の庶幾する俳諧をある程度、理解していたものと考えてよい。ただし、ほぼ同時期に開始された暮雨巷と蕪村・几董など全国俳壇との交流という視座でみたとき、両者は、きわめて対照的な存在であったことを明らかにした。pp.43~58 |
日本語表現の力を高めるための小論文指導-高大連携を視野に入れた国語科におけるブレーンストーミングの試み- |
共著 |
2013年 3月 |
『桜花学園大学学芸学部研究紀要』4号 |
(全体概要)高校と大学の連携を視野に小論文指導にブレーンストーミングを利用することを提言し、高校の授業実践において、その効果について検証した。大学(小学校、幼稚園教諭、保育士養成系)の初年次教育における小論文指導にブレーンストーミングの手法を用いることが効果的であるとの寺島の実践結果をもとに、この手法を高等学校の国語教育のプログラムに援用した。ブレーンストーミングを導入することで、導入前にくらべ、生徒の小論文に具体的な論拠が付加され、帰納法を用いた説得力に富む文章を作成することができるようになった。(担当部分概要)寺島徹・樋口敦士によるデータ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・樋口敦士)pp.21~36 |
日本語表現の力を高めるための教材の活用と実践について-国語科におけるグループ型学習の授業例をもとに- |
共著 |
2013年 3月 |
『桜花学園大学保育学部研究紀要』11号 |
(全体概要)寺島の大学教育(小学校、幼稚園教諭、保育士養成系)における実践的な臨床調査をもとに、グループ学習のための新教材の提案と臨床研究を行った。国語教育(中等教育)において、表現力を高めるための教材の開発として、「水平思考ゲーム」と「ディクショナリー」といわれるグループ学習のゲームを導入した。「水平思考ゲーム」は、質問力を高める効果があることを明らかにした。「ディクショナリー」は、文章表現能力、伝達能力を高める効果があることを実践授業から導き出した。これらのグループワークが恣意的なものにならないためには、授業の計画性と教員の適切な支援が必要であることも指摘した。(担当部分概要)寺島徹・樋口敦士による共同の企画・データ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・樋口敦士)pp.45~61 |
帯梅宛および閭毛宛の暁台書簡の紹介 |
単著 |
2013年 5月 |
東海近世文学会『東海近世』21号 |
これまで未紹介と思われる村瀬帯梅宛暁台書状、および閭毛宛暁台書状について翻刻し内容を紹介した。とくにこれまで知られていなかった帯梅と暁台の関係について明らかにした。また、閭毛についても、大嶋武左衛門という尾張藩士であったことを指摘した。pp.81-86 |
俳文の授業導入に関する実践と考察 -『鶉衣』の事例をもとに- |
共著 |
2014年 3月 |
『桜花学園大学保育学部研究紀要』12号 |
(全体概要)古典教育における江戸期の俳文の導入を試みる。とくに、伊勢物語、徒然草などの中古中世作品への接続を考え、也有の俳文『鶉衣』を用いることにした。俳文のもつ軽妙な文体と俳諧の特質について理解を深めるために、教材作成と実験授業を行った。(担当部分概要)寺島徹・樋口敦士によるデータ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・樋口敦士)pp.29~46 |
宝暦期における横井也有の蕉風意識について-美濃派および露川門への対応を視座として- |
単著 |
2014年 3月 |
東京大学国語国文学会『国語と国文学』91(3)号 |
也有は宝暦後期、矢継ぎ早に俳論・俳話を草し、支考・露川批判をしたことでしられる。しかし、これまで、こうした写本として残る一連の論書が、どのような意識で書かれたのか明らかにされることがなかった。この背景には、也有に俳壇の裏事情を示す書簡類がほとんど残されていないことに一因があった。本稿では、未紹介の也有書簡五通(桐羽宛)を紹介することで、宝暦期における也有の蕉風意識について、美濃派批判、露川門批判の観点から明らかにする。pp.40~54 |
導入期における俳句指導の実践と考察-童話を活用した国語表現活動の試みをもとに- |
共著 |
2014年 3月 |
『桜花学園大学学芸学部研究紀要』5号 |
(全体概要)中等教育における表現活動の一環として、俳句教材の研究を行った。とくに、初心者の導入期の課題設定を行い、新美南吉の童話による俳句創作を試みた。授業における句会分析と授業後のアンケート分析の結果、童話を用いると俳句が苦手な生徒でも、季語やモチーフを容易に取り入れることが可能となり、初心者でも、俳句が比較的作りやすくなることがわかった。ただし、問題点として、童話に引きずられた閉じた作品になる可能性が指摘できた。総じて、導入期の俳句創作にいて、童話を用いることに一定の効力があることを明らかにした。(担当部分概要)寺島徹・加藤国子による共同の企画、データ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・加藤国子)pp.21-34 |
横井也有と飯田俳壇-桐羽宛也有書簡の紹介と俳諧指導の考察- |
単著 |
2014年 3月 |
俳文学会『連歌俳諧研究』126号 |
也有の新出書簡五通をもとに、也有の俳壇指導の実態について明らかにする。宝暦六年八月の桐羽宛書簡では、雲裡坊に対する也有の批判意識をもとにした桐羽への指導がうかがえる。また、宝暦九年の桐羽宛書簡では、当時の尾張の俳壇が「露川の邪風」に陥っていること、また、前句付けのような「けやけき」句を批判するなど、也有の現実の俳壇に対する具体的な危惧がみられる。宝暦十年の桐羽宛書簡では、切字の「浮き哉」について、初心者への指導のための指南の様子がわかった。桐羽宛書簡の考察によって、当時の也有が、高踏的な立場から俳壇を眺めていたのではなく、現実の俳壇の諸問題を念頭におきながら、俳論書などを執筆していたことを明らかにした。pp.11~27 |
蝶夢の『俳人自筆句帳』(仮題)について-「染筆帖」にみえる一茶・烏明・闌更等の句を紹介して- |
単著 |
2014年 7月 |
東海近世文学会『東海近世』22号 |
蝶夢による俳人の染筆帖を紹介する。染筆帖の巻頭には、近年刊行された蝶夢全集にも未紹介である新出の蝶夢自筆の文がみられる。本稿では、蝶夢の序文、および寄せ書きの全文を翻刻し、染筆された俳人について紹介するとともに、その調製の意味について考えた。pp.83-99 |
導入期における俳句表現の指導方法について- 句会をめぐる教師の添削方法をもとに- |
共著 |
2015年 3月 |
『桜花学園大学保育学部研究紀要』13号 |
本研究では、導入期における俳句指導のあり方に関して考察し、学習指導要領で重視される、伝統的な言語文化への興味・関心を広げることへの実践を試みた。導入期の俳句指導について二つの研究実践を紹介し、言語感覚を磨く俳句づくりの指導方法について、句会における教師の添削指導のあり方を中心に分析し、その効果の一端を明らかにした。(担当部分概要)寺島徹・加藤国子による共同の企画、データ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・加藤国子)pp.115-127 |
小学校における「話すこと・聞くこと」の力を育むためのグループ学習の考察-質問力をつけるための「水平思考ゲーム」の教材化をめぐって- |
共著 |
2015年 3月 |
『桜花学園大学学芸学部研究紀要』6号 |
小学校の国語科において、「聞く力」「話す力」を育むために、「水平思考ゲーム」を導入し、その教材化の方法について考察した。実践授業の分析を通して、言語活動としての「水平思考ゲーム」が、児童の思考力の育成や、意見交流の力をつけるために、一定の効果があることを明らかにし、教材化のための具体的な指導案についても提案した。(担当部分概要)寺島徹・樋口敦士によるデータ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・樋口敦士)pp.49-63 |
江戸期の散文作品の教材化と協調学習に関する考察-ジグソー法を用いた西鶴教材の実践授業をもとに- |
共著 |
2015年 3月 |
『桜花学園大学保育学部研究紀要』13号 |
(全体概要)近年注目されているジグソー法を古典学習に取り入れ、あらたな教材化の手法を提案する。とくに江戸期の西鶴の浮世草子の教材化を目指し、学習指導要領で重視される言語活動の充実に着目した授業実践を行い、グループ活動を中心とした授業モデル化の考察を行った。(担当部分概要)寺島徹・樋口敦士によるデータ整理、執筆のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・樋口敦士)pp.129-148 |
蝶夢序『俳人自筆句帳』(仮題)の調製についての補訂 |
単著 |
2015年 7月 |
東海近世文学会『東海近世』23号(研究ノート) |
前年に紹介、考証した蝶夢序『俳人自筆句帳』(中京大学図書館蔵)の書写年代の齟齬を補訂する。田中道雄氏説を引用しながら、蝶夢の文章が、寛成五年に書写されたものではなく、安永前期になったものであることを述べた。pp138-141 |
暁台連句資料の補遺と考察 |
単著 |
2016年 3月 |
『金城学院大学論集』人文科学編 12-2 |
中興期俳人、加藤暁台の連句の未紹介の作品を調査し、翻刻し、解説をくわえた。満田達夫「蕪村と暁台―その連句作法をめぐって」(『連歌俳諧研究』66)に暁台の連句リストが示されているが、30年の時を経て、連句作法の分析の都合上、増補する必要があった。とくに、綿屋文庫の逸漁資料には、満田論に漏れた歌仙、半歌仙が多く見られ、とくに蕪村と交流していた安永期のものが多く、比較資料としても貴重である。pp.33-43 |
最平・墨山ら宛暁台書状の紹介 |
単著 |
2016年 5月 |
東海近世文学会『東海近世』24号(研究ノート) |
再出現の暁台書簡資料である最平・墨山ら宛の暁台書状(十二通)をおさめる巻子一巻について紹介、一部分析をくわえた。本資料の一番の意義は、暁台の安永中後期~天明初期と寛政初期の筆蹟を一望し、見比べることができるところにあると考える。今後、書簡の再出現をきっかけに、筆蹟・内容の両面からの暁台研究の進展が期待できる。pp.59-66 |
「言語活動」の基盤となる韻文教材の構想について-韻文創作活動にもとづく小説教材授業の試みを通して- |
共著 |
2016年 7月 |
『金城学院大学人文・社会科学研究所紀要』第20号 |
高等学校では、あつかう教材の情報量が多いため、ともすると授業のありかたが知識の習得に偏重し、受動的な授業が多くなる傾向にある。そのような現状に鑑み、学習者主体の活動を構想すべく、高等学校特有の表現創作「言語活動」プログラムの提案と実践授業を検証した。とくに国語科の「言語活動」として、連句・俳句を素材としながら、散文読解教材と韻文創作教材を一単元の中で組み合わせていく手法を、高等学校での教材開発と実践授業をもとに分析した。(著者名:寺島 徹・加藤国子)pp.1-14 |
三浦樗良の連句資料について |
単著 |
2016年 9月 |
『金城学院大学論集』人文科学編13巻1号 |
伊勢の中興期俳人、三浦樗良(1729~1780)は、蕪村、暁台とならぶ中興期俳人としてしられている。ただし、樗良の連句に関する研究はわずかな注釈をのぞけばほとんどみられない。本稿は、これまでの論考で採り上げられていない樗良と逸漁の連句資料(天理大学附属天理図書館所蔵)を紹介し、樗良と逸漁の交流に目配りしながら資料翻刻を行う。pp.14-25 |
文政期の蕉門系尾張俳書と『新冬乃日』 : 曾洛の暁台顕彰活動(一) |
単著 |
2017年 3月 |
『金城学院大学論集』 人文科学編13巻2号 |
化政期の尾張俳人、照井曾洛(1837没)の残した著作をうかがいながら、中興期俳人、加藤暁台の連句資料『新冬乃日』について検討し、翻刻した。曾洛の俳諧活動を入集俳書を中心に調査し、暁台への私淑の度合いについて分析した。また、『新冬乃日』の真蹟資料としての価値についても考察した。pp.13~28 |
小学校における付け句創作指導の可能性 : 趣向と句作に基づく教材化への視点 |
共著 |
2017年 5月 |
『解釈』解釈学会 編 63(5・6) (通号 696) |
近年、言語活動の充実を図ることをねらいとして、詩歌、俳句や短歌の学習において創作活動が重視されるようになった。小学校においても、俳句の創作活動がその短さと定型の取り組みやすさから盛んに取り入れられ、指導法の開発と理論化において一定の成果も示されている。本稿では、こうした俳句、短歌に加え、「連句」「付け句」の創作活動に着目する。小学校の表現教材として「付ける」活動の意義に検討を加え、その創作指導の可能性について事例分析をもとに試論をまとめた。付け句の教材としての有効性を認知的なアプローチから考察を行った。(迎勝彦・寺島徹)p.11-19 |
「言語活動」に着目した俳論教材の活用について―『去来抄』「岩鼻や」の章段における交流活動を用いた実践授業をもとに― |
共著 |
2017年 7月 |
『金城学院大学人文・社会科学研究所紀要』21号 |
古典の韻文作品における評論教材をもとに言語活動を設定し授業設計を行う。その指導法の提案及び実践授業を通しての分析と考察を試みた。具体的には俳諧分野を単元教材として取りあげて批評を用いた指導法の開発について実践授業をもとに検証した。また、韻文創作活動の新たな手法にも着目しながら、高等学校国語科の「言語活動」教材を理論化を行った。韻文作品に向けられた俳論の読解を通じて、一つの作品に対してさまざまな意見があることをグループで話し合うことにより、他者への評価という視点を生徒がメタ的に感じ取ることが可能な教材となると位置づけた。(著者名:寺島徹・樋口敦士)pp.1-12 |
芭蕉百回忌追善「風羅念仏」事業と『新幽蘭集』―曾洛の暁台顕彰活動(二) |
単著 |
2017年 9月 |
『金城学院大学論集』 人文科学編14巻1号 |
安永・天明期の尾張俳人である加藤暁台は芭蕉百回忌取越追善事業である『風羅念仏』法要を行ったことで知られている。まず暁台の天明2,3年の動向について、『風羅念仏』行事の様相をもとに整理し、年譜事項としてまとめた。やや複雑な『風羅念仏』の諸本についても整理をおこなった。その上で、暁台側の『風羅念仏』関連資料である曾洛編『新幽蘭集』を俎上にあげ、蕪村側の資料と比較検討し、その意義についてまとめた。『新幽蘭集』の未翻刻部分について架蔵本をもとに翻刻した。pp.15-37 |
加藤暁台の点帖資料(寛政二年)について―江戸後期尾張俳壇の月並句合(一) |
単著 |
2018年 3月 |
『金城学院大学論集』人文科学編第14巻2号 |
安永・天明期の尾張の中興期俳人、加藤暁台は、晩年に月並発句合を行ったことで知られている。その月並句合は門弟たちによって受け継がれた。その展開を明確にする作業の一環として、暁台の暮雨巷とその周辺における未紹介の尾張月並句合資料(点帖)について、紹介するものである。本稿では暁台の点帖として、未紹介の「寛政二年四月」(架蔵)の点帖資料を俎上にのせ、その位置づけについて論じた。pp.32-41 |
加藤暁台と半歌仙合の試み―晩年における下伊那・阿島俳壇への批点をめぐって |
単著 |
2018年 9月 |
俳文学会『連歌俳諧研究』135号 |
中興期俳人、加藤暁台が晩年に他門に対して歌仙合の試みを行っていたことを紹介したい。歌仙合は連句評点(点取)の一形態であり、地方系蕉門では限られた事例しかみられない。未紹介の暁台の点帖をもとに、阿島俳人に行った歌仙合という催しについて検証した。この試みは也有・鴎沙から続く、尾張俳壇と下伊那俳壇の交流という面でいえば、わずかな点に過ぎない出来事である。だが、この歌仙合は、旧派の鷗沙の縁による他門への批評という点に大きな特徴があった。同時代の内々の尾張門への評と比べたとき、そこには判者の自負が見え隠れするとともに、通説で厳しいと言われる暁台の式目観のあり方の一端が垣間見えた。pp.15-25 |
寛政・享和期における桜田臥央の点帖資料について―江戸後期尾張俳壇の月並句合(二) |
単著 |
2018年 9月 |
『金城学院大学論集』人文科学編第15巻1号 |
天明期、化政期の尾張俳人、桜田臥央(1810没)は、暮雨巷一世加藤暁台の月並句合を引き継いで、寛政期、化政期に尾張俳壇の月並発句合を盛んに行ったことで知られている。尾張俳壇における暮雨巷の月並発句合の展開を明確にする作業の一環として、本稿では手元に集まった桜田臥央の点帖資料、ならびに、暮雨巷関係の連句評点の点帖資料も紹介する。暁台から門弟たちへの批評態度の影響についても分析する。pp.172-183 |
化政期における大鶴庵塊翁の月並句合について-江戸後期尾張俳壇の月並句合(三)- |
単著 |
2019年 3月 |
『金城学院大学論集』人文科学編第15巻2号 |
化政期の尾張俳人、大鶴庵塊翁(1764~1829)は、暮雨巷一世加藤暁台や暮雨巷二世桜田臥央の後を継いで、月並句合を盛んに行っている。尾張俳壇における暮雨巷を中心とする月並発句合の展開を明確にする作業の一環として、本稿では手元に集まった大鶴庵塊翁の月並句合資料、点帖資料をもとに、化政期の尾張俳壇の月並句合について考えてみたい。とくに、18世紀中期から後期における下伊那地域と尾張地域との文化交流についても検証した。pp.191-202 |
芭蕉百回忌追善集『風羅念仏 みちのく』について |
単著 |
2019年 9月 |
『金城学院大学論集』人文科学編第16巻1号 |
「風羅念仏」事業とは、尾張の中興期俳人である加藤暁台が芭蕉百回忌取越追善法要のために行った追善事業のことであり、勧進事業、法要も含めると天明元年(1781)から天明三年(1783)まで行われた。本稿では、勧進事業の一つとして存在はしられていたものの、戦後、俳書そのものの行方が知れなかった『風羅念仏 みちのく』(天明二年刊)について取り上げ、また、未紹介の書簡資料を俎上にあげながら、本書の内容について紹介する。従来、不分明であった「風羅念仏」事業の行程について、一部明らかにした。pp147-157 |
尾張横須賀における楓京と知柱亭・暁台・也有の交流について-白羽家所蔵資料を紹介して- |
単著 |
2019年12月 |
東海近世文学会『東海近世』27号 |
尾張横須賀は元禄期から幕末にいたるまで俳諧、雑俳が広く行われていたことで知られている。とくに、享保期から安永期にかけての楓京と傍系美濃派俳人たちとの俳諧交流、明和期・安永期・天明期にわたる暁台と楓京、如東、帯梅らとの交流、寛政期~化政期における、士朗と帯梅、大阜との交流は盛んなものであった。それらに並行してはやくから雑俳・狂俳が盛んに行われていたことでも知られる。本稿では、あらたに、東海市横須賀町にある白羽泰氏所蔵の俳諧資料を紹介することにより、江戸中期、後期の横須賀俳壇における楓京を中心とした俳諧交流の実態について明らかにした。pp.27-45 |
安永後期の加藤暁台と句合の試み |
単著 |
2020年 3月 |
早稲田大学国文学会『国文学研究』190集 |
中興期俳諧では様々な番いの方法が試みられた。京の蕪村は其角に私淑し句兄弟の試みをしたことで知られ、江戸の蓼太も、『百五十番句合』(明和元年〈一七六四〉刊)を行うなど、写本、刊本の形で多様な試みがなされている。尾張の暁台も、荻野清氏「句合集解説」(『続俳句講座四』改造社)には漏れたものの、明和以降、写本をもとに句合を盛んに行った。これまで取り上げられることのない上梓された暁台句合をもとに、句合のシステム、漢詩文調の導入という手法を俎上に載せ、安永後期の暁台の変容について論じた。 |
横井也有と知多俳壇の交流 : 東海市白羽家資料の紹介(一) |
単著 |
2020年 3月 |
『金城学院大学論集』人文科学編第16巻2号 |
俳文『鶉衣』の名著で知られる尾張俳人、横井也有は、宝暦四年の隠居後、俳諧活動に深く心を砕いた。とくに、尾張周辺地域の地場宗匠の歳旦には、也有交遊圏とおぼしき、交流のあとが色濃くみられ、也有の半掃庵は、まさに、当時の尾張を中心とした俳人たちを結ぶ拠点の役割を果たしていたといえる。本稿では、東海市の白羽家資料の中から、也有の関係資料を全文翻刻し、また、新出の架蔵書簡などの関連資料を合わせみながら、当時の也有と尾張知多俳壇の関係について、新たな知見を加えた。pp.191-202 |
安永期における暁台の俳諧摺物について-東海市白羽家資料の紹介(二) |
単著 |
2020年 9月 |
『金城学院大学論集』人文科学編17巻1号 |
東海市横須賀の白羽家に、横井也有、加藤暁台の摺物関係の資料が残っていることをかつて紹介した。「東海市白羽家資料の紹介(1)」においては、その中でとくに、也有の一枚刷を全文翻刻し、また、関連資料を合わせみながら、当時の也有と知多俳壇の関係性について、いくらか知見を加えてみた。本稿では、暁台関係の摺物資料の全容を翻刻するとともに、あらたに寛政期の暮雨巷の尾張津島関係の句合摺物資料を俎上にのせ、安永期の摺物と比較してみたい。この事例をもとに、当時の句合と月並発句合の関係についてもいささか修正を試みる。 |
創作と鑑賞の過程における「思考力・判断力・表現力等」の育成-幼保小における言葉の発達の検討と教育方法の開発- |
共著 |
2021年 3月 |
『金城学院大学論集』人文科学編第17巻2号 |
小学校の「書き言葉」の指導の問題を考えるとき、幼児教育における言葉の発達の問題や幼児教育と小学校教育との学びの連続性を重視する必要がある。幼児教育段階における「言葉」の獲得の意義を実践事例を通して検証しつつ、「書き言葉」の学びに必要な子どもの自己認識の発達への援助のあり方を問うことを目的として、とくに、韻文におけるいわゆる「五・七・五」の創作活動と鑑賞活動との関連指導について理論的検討を加えた。小学校において実施した検証授業の分析に基づきながら、書く過程における「思考力・判断力・表現力等」の育成についての教育方法を明らかにし、「書き言葉」指導の方法論の構築についての一試案を提示した。(著者名:寺島徹・迎勝彦) |
題目/演目名等 |
発表年月 |
発表学会名等 |
概要 |
枇杷園士朗の俳諧活動 |
1995年 5月 |
早稲田大学 近世文芸 研究と評論の会95年5月例会 (於早稲田大学) |
士朗の俳諧活動を明和期、安永・天明期、寛政期以後の三期に分類することを提言する。尾張俳壇との関わりを中心に、その姿先情後論の推移を論ずる。 |
士朗発句集の成立について |
1995年11月 |
平成7年度日本近世文学会秋季大会(於ノートルダム清心女子大学) |
士朗の発句集三部(『枇杷園句集』『枇杷園句集後編』『類題士朗叟発句集』)を分析し、俳諧句集における士朗の主体性と姿先情後論の変遷について考察する。 |
加藤暁台の晩年について |
1997年 6月 |
第296回東京俳文学会研究例会(於早稲田大学) |
暁台の晩年を、地下系統の歌人としても知られる堀田木吾ら津島俳人との交友によって、とらえなおす。とくに旧派といわれる美濃派蕉門との関わりを指摘する。 |
加藤暁台の晩年について-暮雨巷の月次句合- |
1997年10月 |
平成9年度俳文学会全国大会(於梅光女学院大学) |
暁台がその最晩年に、蕪村同様、月次句合に手を染めていたことを指摘する。二条家俳諧と月次句合という対蹠的な営為が並行して行われ得た俳壇状況も明らかにする。 |
蕪村と暁台-安永七年十一月二十六日付百池宛暁台書簡を中心に- |
1999年12月 |
平成11年度早稲田大学国文学会秋季大会(於早稲田大学) |
蕪村と暁台は、安永三年の交渉開始から、お互いを賞揚しつつも牽制しあう仲となる。両者の蕉門俳論への距離の違いを検討することにより、両者の語法の差違を明らかにする。 |
『仮題吉川五明自筆句帖』について |
2000年 6月 |
第317回東京俳文学会研究例会(於早稲田大学) |
中興期俳人として知られる秋田の遊俳五明の新出自筆句帖を紹介し、寛政前期における五明の俳論・文体・表現手法が美濃派よりも、むしろ江戸座よりであった点を指摘する。 |
暁台評『百歌仙』をめぐって |
2001年10月 |
平成13年度俳文学会全国大会(於佐賀大学) |
暁台の連句関連資料は、これまで『暮雨巷書留』など数点しかしられていなかった。明和期の暮雨巷社中の実態を考察する資料として、暁台評『百歌仙』なる連句評巻を紹介し、明和期の尾張俳壇における暁台の脆弱な立場を指摘する。 |
蕪村再考 |
2004年 3月 |
第81回現代俳句協会青年部講演発表(於現代俳句協会) |
蕪村研究を国語学の視座から再考する。昭和後期の『自筆句帳』の発見以後、その発句から趣向性と叙景性の二面を積極的に抽出しようとするなど、近世という共時的な視点に戻して捉え直す手法が主流となっている。これら従来の研究史の問題点を指摘し、あらたに、定家仮名遣の使い方、完了の助動詞「つ」「ぬ」の使用法等、国語学の視座で再検討することにより、用字法の上から蕪村の近世文人としての側面を相対化した。 |
江戸後期俳人の仮名文字の書記法について-蕪村と暁台の関係をもとに- |
2004年10月 |
東海地域文化研究所 第62回研究例会(於名古屋学芸大学) |
国語学における仮名字体研究の一環として、中興期俳人をとりあげ調査報告する。蕪村と暁台の仮名表記の相違点、仮名遣いの類似性について考察する。くわえて、送り仮名・捨て仮名の側面からも比較する。宣長等の国学者との使用法の隔たりについても分析し、この時期の俳人における表記法の規範意識について考察するもの。 |
蕪村と暁台について-仮名表記特性と切字(助動詞・助詞)の視座から- |
2004年12月 |
全国大学国語国文学会冬季大会(於福岡女学院大学) |
近年の国語学分野における、「書記法の体系化」、「助動詞の用法分析」という二点の成果をもとに、江戸後期の俳人の表記法、切字(助詞・助動詞部分)の使用法について、統計的な分析を行う。書記法の面から、従来「磊落」と言われた蕪村と、「規範的」といわれた暁台の特性について見直す。また、切字について、句稿の添削部分を調査したところ、助詞「浮き哉」(活用形+哉)には差がみられず、「つ」「ぬ」等の完了の助動詞において有意な差を示している。江戸の韻文作者の場合にも、「つ」は発話者における「現実体験の表象」という意識的な使用法の差違が認められる。 |
蕪村と暁台の交流―蕉風の「からび」を視座として― |
2008年 7月 |
東海近世文学会9月研究例会(於熱田神宮文化殿) |
蕪村の、暁台句「乾鮭をしはぶりて我が皮肉哉」(安永元年)への賞賛に始まり、幻住庵での俳諧、風羅念仏法要における蕪村の支援等、交渉の開始から蕪村没年まで一貫して頻繁な交流が続いた。「逸漁文庫俳諧資料集」(綿屋文庫蔵)、『蕉門俳諧附合安波世鏡』(一宮市尾西歴史民俗資料館蔵)には「からび」の措辞が散見し、蕪村への批評もみえる。「からび」の痕跡を手がかりにすることで、両者の俳系の違いについて論じる。 |
蕉風復興運動と加藤暁台―蕪村との交流をめぐって― |
2008年 9月 |
平成20年度日本近世文学会秋季大会(於北海道大学) |
中興期俳人、加藤暁台の伝記事項を整理・補足する過程で得た新資料の紹介をもとに、暁台の蕉風復興運動における俳諧活動ならびに蕪村との交流について検討する。暁台年譜の補足とともに、従来問題視されていなかった暁台周辺の資料を俎上にのせ、蕉風の「からび」理論をもとに、俳系の異なる暁台(伊勢派)と蕪村(江戸座)に通底していたと考えられる蕉風意識の一端についても論じる。 |
韻文指導の可能性-付句を視座として- |
2010年11月 |
愛知県稲門教育会国語部会第6回研究発表会(於中京大学) |
(全体概要)「全国高校生付け句コンクール」の試みを紹介しながら、参加校における授業実践について紹介した。付け句ひいては連句という素材が国語教育の現場において、どのような教材になり得るのか、その課題と展望についてのべた。(担当部分概要)寺島徹・樋口敦士によるデータ整理・研究発表のため、担当部分抽出不可能である。(著者名:寺島徹・樋口敦士) |
許六系『白砂人集』の諸本について-安永期における蕉風伝書の出版を視座に- |
2012年 4月 |
東海近世文学会4月例会(第228回)(於熱田神宮文化殿) |
加藤暁台の手になるとされながら、これまで検討されることのなかった伝書『白砂人集』について、新出写本を紹介し考察する。貞門系、許六系の写本『白砂人集』の諸本に検討・分析を加え、出版への腐心の跡を検討することにより、暁台が版本『白砂人集』の上梓について直接的に関与していたことを明らかにした。出版書肆辻井吉右衛門に注目することにより、『去来抄』の「故実」篇省略の背景についても仮説をたてた。 |
横井也有と下伊那俳壇について-窪田桐羽宛の書簡を中心に- |
2013年 5月 |
東海近世文学会5月例会(第237回)(名古屋市鶴舞中央図書館) |
横井也有の新出書簡5通をもとに、宝暦後期の也有の俳諧観について分析する。とくに、桐羽書簡をもとに、宝暦六年における雲裡坊杉夫来臨の意味、宝暦九年の露川門批判など、也有の具体的な俳壇指導の実態について明らかにした。蕉風における「けやけき」句の意味についても論じた。 |
也有の俳壇指導について-宝暦期における伊那俳壇の事例を中心に- |
2013年 9月 |
平成25年度俳文学会全国大会 (中部大学) |
也有は、草庵詩人として俳壇と距離をおきつつも、宝暦中期以後、矢継ぎ早に俳論書・俳話をものし、支考・露川批判をしたことでしられている。これまで、写本として残る、これら一連の論書が、何のために、誰に向けて書かれたのか、疑問とされてきた。その背景には、也有に俳壇の裏事情を示す書簡の類いがほとんど残されていないことにも一因があったものと考えられる。本発表では、新出の也有書簡五通を紹介し、宝暦六年から宝暦十年頃にわたる、也有の下伊那俳壇への指導の実態を検討することで、当時、也有が俳壇的な危機意識を持っていたことを明らかにし、也有の俳論と実際の指導との関係について見通しを述べた。 |
安永天明期の尾張俳壇と歌仙合―飯田俳人との交流事例をもとに― |
2017年 5月 |
東海近世文学会(第269回) |
奈良大学図書館所蔵『暁台半歌仙合』(仮題)という点帖資料を紹介した。『暁台 半歌仙合』より、尾張の中興期俳人、加藤暁台が「歌仙合」を行っていることがわかる。従来しられている月次発句合(『暮雨巷月次句合』等)、連句評点集(『百歌仙』等)と、どのような関係にあるのか、判詞の内容も含めて検討した。 |
江戸後期における尾張俳壇と飯田俳壇の交流-暁台判の歌仙合をもとに- |
2017年11月 |
俳文学会第69回全国大会(於松山市立子規記念博物館) |
暁台判の『半歌仙合』(仮題)という点帖を紹介する。この資料を分析することで、雲裡坊、也有から暁台、士朗にわたって、尾張俳壇と飯田俳壇に連綿と続く交流があったことを明らかにする。また、この時代の歌仙合が月並句合と表裏の関係にあったことを指摘し、式目に厳しいという暁台の判詞の傾向についても明らかにする。 |
連句系教材による授業実践の現状と課題 |
2018年 4月 |
早稲田大学国語教育学会4月例会 |
初等、中等の国語教育における連句教材導入の意義について発表した。中等教育では、連句の「転じ」が扱われるケースがみられるが、発達段階に応じて、「付け」中心の指導法と「転じ」中心の指導法を使い分ける必要性を、先行研究、実践事例をもとに検証した。江戸前期、中興期の俳諧から帰納して、実践方法を考案する可能性も示唆した。 |
暁台と蕪村の交流と軋轢について―「虚栗調」と作法を視座として |
2018年12月 |
2018年度早稲田大学国文学会秋季大会 |
安永三年から天明三年にわたって、蕪村の夜半亭と暁台の暮雨巷が上方を中心に盛んに俳諧交流を行ったことは広く知られている。本発表では、蕪村書簡における、暁台の俳風と作法に関する記述に注目し、安永後期の書簡に数多くみられる暁台への揶揄の意味について論じた。また、暁台が連句作法において、他門と門弟で作法の規準を使い分けている事例を紹介し、他門としての暮雨巷と夜半亭の関係に言及した。その上で、暁台の他門意識と、暁台を揶揄する蕪村の姿勢について私見を述べた |