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フリガナキタハラ ルミ
ローマ字KITAHARA Rumi
氏名北原 ルミ
メールkitahara@kinjo-u.ac.jp
学位文学修士 DEA 
所属文学部 / 外国語コミュニケーション学科
職名准教授
所属学会日本フランス語フランス文学会 関西フランス史研究会 Société Voltaire 
専門分野文学 史学   
研究課題ヴォルテールの『オルレアンの処女』 ジャンヌ・ダルクの文学 ジョルジュ・ベルナノス 

学会及び社会における活動等

開始年月 活動内容 終了年月
1997年 日本フランス語フランス文学会所属 現在に至る
2009年 4月 日本フランス語フランス文学会学会誌編集委員 2013年 3月迄
2011年 4月 大学入試センター教科科目第一委員会委員 2013年 3月迄
2013年 4月 日本フランス語フランス文学会中部支部会幹事 2015年 3月迄
2016年 4月 日本フランス語フランス文学会中部支部会幹事 2018年 3月迄
2019年 4月 日本フランス語フランス文学会中部支部会幹事 現在に至る
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受賞歴

受賞年月 受賞名
2006年 6月 カナダ首相賞審査員特別賞(翻訳部門)
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著書

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
篠田英勝・海老根龍介・辻川慶子編、 『引用の文学史――フランス中世から二十世紀文学におけるリライトの歴史』 共著 2019年 2月 水声社 白百合女子大学言語・文学研究センターによる科研費課題「引用の文化史―フランス中世から20世紀文学における書き直し(リライト)の歴史」の一環として、2017年3月におこなった講演をもとにまとめた論文「処女ジャンヌの剣 ―シャプランの聖戦からヴォルテールの反戦へ」の寄稿。中世におけるジャンヌのモチーフ「処女」「声」「剣」「戦闘行為」にすでに見られた聖戦思想を、17世紀のシャプランが古代叙事詩などを模倣しつつ拡大発展させたことを指摘し、また、これを18世紀のヴォルテールがいかに覆し、反戦思想へ導くのかを明らかにした。(P134~P157)
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学術論文

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
「ジュリアン・グリーンの『幻視者』における「私」の挑戦-初期ヌヴェルとの比較を通して」 単著 1998年 3月 関西フランス語フランス文学(日本フランス語フランス文学会関西支部)第4号 「私」の問題を生涯追及し続けた作家グリーンが、「私」のじかに語る一人称による長編小説は不得手だった点に着目し、それでも語り手の「私」を複数にすることによって完成した長編小説『幻視者』の複数の語りを、それ以前に書かれた短編小説の一人称の語りと比較した。この比較により、グリーンの一人称の語りでは常に話が「私」にとっての何らかの真実の「開示」という帰結へ向かってしまう特徴があきらかになり、さらに『幻視者』ではそのような一方的な「開示」に対し語り手の「私」がそれぞれ自らの手で真実を捉えようと挑戦しているとの読みが可能になる。(P54~P64)
« Comment dire « la vérité » en 1938 -- « Scandale de la vérité » de Georges Bernanos » 単著 2003年 3月 Études de Langue et Littérature françaises (Société Japonaise de Langue et Littérature Française)第82号 ミュンヘン協定をめぐるフランスの世論のうちに「言語の崩壊」を指摘するベルナノスは、なぜ「真実」という言葉にこだわるのか。『真実の躓き』というテキストの中でベルナノスがどのように「真実」という言葉を用いているのかを分析することによって、ベルナノスが暴き出しているのは「真実」が党派の利益を正当化するイデオロギーとなっている1938年の状況であることがわかり、またそのような対立から抜け出すための視点を、この時点では仮想的でしかない人間像へ投影することで構築していこうとするベルナノスの試みも明らかになる。(P119~P132)
「ジュリアン・グリーンの小説技法‐初期一人称小説における「私」の力学‐」 単著 2006年 3月 金城学院大学論集(金城学院大学)人文科学編第2巻第2号 この論文では、グリーンの初期短編小説三作に焦点を絞って分析した。それぞれの作品の語り手「私」がどのようにして自己認識を得るのか、そのメカニズムを解き明かすとともに、作品ごとの変容を追った。いずれの作品でも、「私」の分身的存在があらわれ、これとの対立が深まった結果、自己についての衝撃的な真実が「開示」される。図式は共通でありながら、作品ごとに対立の場所が異なる。『地上の旅人』では「私」の精神、『死の鍵』では身体、『もう一つの眠り』では愛をめぐって、分身との葛藤が起こる。注目するべきは、後の作品になるほど語り手に余裕が生まれ、分身の力が弱まり、「開示」の超越性も薄れてゆくことである。このような語りの技法の変化こそが、同じ時期の三人称長編小説で描かれていた盲目的な暴力を中和するよう働いたと考えられる。(P1~P24)
「ジャンヌ・ダルク幻想」 単著 2009年 3月 金城学院大学論集(金城学院大学)人文科学編第5巻第2号 ジャンヌ・ダルクを取り上げた文学・芸術作品は数多く、文学辞典等でも列挙される。しかし「幻想」としてこれらを正面から分析する試みはそれほどなされていない。とりわけ、ヴォルテールの『オルレアンの乙女』という作品は、あまりに自由奔放な幻想を繰り広げたために、革命期のベストセラーでありながら、19世紀以降のナショナリズムに乗ったジャンヌ再評価の流れのなかでは、悪質な冗談とみなされ、まともに取り上げられることはなかった。しかしこの作品こそ、ジャンヌの「処女性」から生まれる幻想に潜む身体性を露骨なまでに暴きだしたのであり、19世紀以降の新たなジャンヌ幻想が反発すべき対極点として機能したのではないか。シェイクスピア、シラー、ミシュレ、ペギー、ショウ、アヌイなどの作品を挙げて「ジャンヌ・ダルク幻想」の見取り図を示しつつ、ヴォルテール作品を位置づけ、幻想の構造を明らかにする。(P18~P46)
「聖女ジャンヌ・ダルクの文学-シャルル・ペギー『ジャンヌ・ダルクの愛の神秘』を読む-」 単著 2009年 3月 金城学院大学キリスト教文化研究所紀要第12号 20世紀初頭の社会主義者であり、なおかつカトリックの信仰へ回帰した詩人シャルル・ペギーの代表作『ジャンヌ・ダルクの愛の神秘』をとりあげ、ジャンヌ・ダルクが「キリスト教の聖女」となってゆく時代の、キリスト者によるジャンヌ理解の一例を読み解いた。現行社会の枠内で日々の労働に励むあり方を体現する少女オーヴィエット、現行社会の枠から出て祈りにすべてを捧げるあり方を示す修道女ジェルヴェーズに対し、現行社会を変えるために行動へ出ざるをえないのがジャンヌのあり方である。その三つのあり方は、緊迫した対立関係を結びつつも相互に支え合い、ジャンヌをつき動かす「愛」の力を浮き彫りにする。人々の悲惨、社会の悪を目の前にして、「罰する神」を思い起こすのではなく、あくまで受肉したイエスの愛にこそ三者の思いは寄せられる。ここには「神への畏れ」は見られず、「神への愛」のみがすべての信仰の原動力となっている。(P101~P125)
ペギーの『ジャンヌ・ダルク』における悪の問題 単著 2015年12月 Stella 34号 (九州大学フランス語フランス文学研究会) 「社会主義者でドレフュス主義者の論争家」にして「カトリックでナショナリストの詩人」とみなされてきたシャルル・ペギーの処女作といえる戯曲三部作『ジャンヌ・ダルク』に注目し、ジャンヌの闘いを通じて「悪」の問題がどのように提起されているのかを考察した。ここでの「悪」は物質・精神両面にわたる現実の悲惨、社会悪であると同時にそのような社会を成り立たしめている人間各自の悪でもあり、またこれと闘う中でも生み出される悪である。本作品のジャンヌは社会主義的な連帯の思想を担いながら、悪の当事者性の追及において宗教的思想を体現する存在であり、悪についての問いから行動、祈り、呼びかけを導き出す。ペンによる闘いに身を投じるペギーの原動力は、早くも祈るジャンヌを通じて形象化されているのである。(P209-P219)
「サイレント映画におけるジャンヌ・ダルクと戦争―セシル・B・デミルの『女人ジャンヌ』とマルコ・ド・ガスティーヌの『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』―」 単著 2016年 3月 金城学院大学論集(金城学院大学)人文科学編第12巻第2号  巨匠ドライヤー、ブレッソンの陰で忘れられた初期のジャンヌ・ダルク映画二本を取り上げ、比較した。両作ともそれぞれ文学(シラーの劇あるいはミシュレの歴史書)にヒントを得てジャンヌ像を創造している。また、両作とも同時代の第一次世界大戦を強く意識して戦争場面を構築している。よって、「女戦士ジャンヌ」の表象に着目し、文学から映画へ移る際にどのような変更が生じたのかという問題と、無声映画という形式による効果や同時代性への意識をめぐる問題の両面から、ジャンヌと戦争との関わりを考察した。(P20-P34)
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学会発表

題目/演目名等 発表年月 発表学会名等 概要
「Julien Greenの « Le Visionnaire »における『私』の問題‐初期の一人称作品 « Le Voyageur sur la terre », « Les Clefs de la mort », « L’Autre Sommeil »との比較を通して」 1997年11月 1997年度日本フランス語フランス文学会関西支部大会 一人の語り手「私」が自分の物語を語るという形式にするつもりでグリーンの書き始めた« Le Visionnaire »が、途中から語り手が替わったり、現実が幻想へ移行したりすることで当初の予定とは違った長編小説として完成したのはなぜか。その謎の答えを、グリーンの初期短編小説における一人称語りの中に探る。短編小説では、いずれも語り手は自らを無にして「私」についてのある開示に自分が至るまでの過程を語るだけである。« Le Visionnaire »では、そのような「私」の物語の限界を超えるために、語り手や語りの次元を多様にし、限界にせまる試みを作者が本能的に推し進めたのだと考えられる。
「G.ベルナノスの『真実の躓き』、あるいは1938年のある真実-ミュンヘン協定と言語の危機」 2002年 6月 2002年度日本フランス語フランス文学会春季大会 小説家ベルナノスが、政治的時事問題をめぐるパンフレットも多く書いていたことは知られている。王党派で戦闘的カトリックという立場をとりながらスペイン戦争以降、教会や右翼を批判する書を次々に放ったが、その中でも『真実の躓き』と題された小冊子は、ミュンヘン協定という政治的事件を通してベルナノスが過去の自分と向かい合い、右翼と左翼の対立を深めるフランスの言論状況を分析しながら、党派的に利用されない「真実」という言葉をいかにして復権させようと試みたかを示す重要なテキストである。
ワークショップ「文学と悪とモラル」へのパネリストとしての参加(報告題目:「シャルル・ペギーの『ジャンヌ・ダルク』(1897)における悪の問題」) 2015年11月 日本フランス語フランス文学会2015年度秋季大会 松澤和宏氏をコーディネーターとし、文学批評が90年代から倫理的展開を迎えているとの近年の指摘を踏まえ、文学と悪とモラルの関係について18世紀以降の論争、作者、作品の例を各パネラーが次の通り取り上げて報告した。越森彦「ヴォルテールとルソーにおける悪の起源 ―ポウプ流オプティミズムをめぐって」、松澤和宏「フロベール『ボヴァリー夫人』における報われぬ美徳の行方」海老根龍介「ボードレールにおける芸術とモラル」、北原ルミ:「シャルル・ペギーの『ジャンヌ・ダルク』(1897)における悪の問題」。北原はペギーの作品にみられる悪の問題について、ヴォルテール/ルソー論争やボードレールの原罪観との関係を視野に入れつつ明らかにした。
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口頭発表

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
「『私』の語る真実-Julien Greenの« Le Visionnaire »の語り手たち」 なし 1997年 5月 京都大学仏文研究会第13回総会 一人の「私」が自分の物語を語るという一人称による語りによって、長編小説を書くのに困難を覚えたグリーンが、語り手を交代させながら描ききった« Le Visionnaire »の、複数の語りを分析した。語り手が交代するごとに、歴史的語りから内省的語りへ、そして幻想的語りへと、語りの性質が変わってゆき、それら三種類の語りが入れ子状に重なることでこの小説世界が完成しているのである。
「1930年代における反ユダヤ主義の位相-ベルナノスのドリュモン論をめぐって」 なし 2002年 4月 関西フランス史研究会第119回例会 フランスにおける反ユダヤ主義は、19世紀後半に資本主義批判や共和国批判と混ざり合い、近代化された。これを一般に普及させたのが『ユダヤ的フランス』の著者エドゥアール・ドリュモンであり、その人気はパナマ事件やドレフュス事件によって圧倒的に高まったが、第一次世界大戦の衝撃によって一旦忘れられる。反ユダヤ主義が再燃することになる1930年代の初頭に、ベルナノスはわざわざこのドリュモンの伝記を執筆する。その執筆の意味することは何なのか、テキストを分析すると、新たな反ユダヤ主義の兆しに対しての予防線という性質も読み取ることができる。
「ジャンヌ・ダルク幻想」 なし 2008年 1月 関西フランス史研究会第137回例会 ジャンヌ・ダルクを取り上げた文学・芸術作品は数多いが、ジャンヌの「処女性」のとらえかたに注目して有名作家の作品を分析すると、いくつかの類型パターンが浮かび上がる。シェイクスピア、シラー、ヴォルテールは「欲望をそそる処女性」の暴力性を描き、ミシュレやペギーは「慈愛を注ぐ子どもとしての処女性」において他者救済と自己犠牲の結びつきを強調した。さらにバーナード・ショウやアヌイは「女の生き方を拒否する処女性」を描き、自由の希求を構想した。なお、処女性を中性化しつつジル・ド・レ幻想とからめたのはトゥルニエである。また、日本の漫画家美内すずえは、これらすべての要素をうまく取り入れ、独自の処女ジャンヌ像を提示していたのだ。
「聖女ジャンヌ・ダルクの文学-シャルル・ペギー『ジャンヌ・ダルクの愛の神秘』を読む」 なし 2008年12月 金城学院大学キリスト教文化研究所「キリスト教と文学」連続講演会 20世紀初頭の詩人シャルル・ペギーの代表作『ジャンヌ・ダルクの愛の神秘』をとりあげ、ジャンヌ・ダルクが「キリスト教の聖女」となってゆく時代の、キリスト者によるジャンヌ理解の一例を読み解いた。現行社会の枠内で日々の労働に励むあり方、現行社会の枠から出て祈りにすべてを捧げるあり方に対し、現行社会を変えるために行動へ出ざるをえないのがジャンヌのあり方である。その三つのあり方は、緊迫した対立関係を結びつつも相互に支え合い、ジャンヌを動かす「愛」の力を浮き彫りにするのである。「神への畏れ」はここには見られず、「神への愛」のみがすべての信仰の原動力となっている。
サイレント映画におけるジャンヌ・ダルクと戦争―C・B・デミルの『ヂャン・ダーク』(1916)とM・ド・ガスティーヌの『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』(1928)― 単著 2015年 9月 「文学と映画」研究会第三回例会(東北大学国際文化研究科) 東北大学教授寺本成彦氏の呼びかけで生まれた「文学と映画」研究会の第三回目において発表を担当した。ジャンヌ・ダルクを題材としたサイレント映画二作品を取り上げ、比較・解説を行った。両作品ともそれぞれ文学(シラーの劇あるいはミシュレの歴史書)にヒントを得てジャンヌ像を創造している。文学から映画へ移る際にどのような変更が生じたのか、また映画同士で比較した場合に何が分かるのか。無声映画という形式、第一次世界大戦という背景を踏まえ、両作品における戦争とジャンヌの関わりを考察した。
処女(ラ・ピュセル)ジャンヌの剣 ― シャプランからヴォルテールへ 単著 2017年 3月 白百合女子大学講演会「ジャンヌ・ダルクとリライト」 白百合女子大学言語・文学研究センターが科研費「引用の文化史ーフランス中世から20世紀文学における書き直し(リライト)の歴史[課題番号:15K02387]」との共催で開催された講演会における発表。ジャンヌ・ダルクを描いた文学の中で現在ほとんど読まれることのない、17世紀のジャン・シャプランの英雄叙事詩『処女(ラ・ピュセル)、あるいは解放されたフランス』および、18世紀のヴォルテールによる『オルレアンの処女(ラ・ピュセル)』を取り上げた。リライトという観点から、ジャンヌ関連の中世史料におけるいくつかのモチーフ、「処女」「声」「剣」「戦闘行為」を確認した上で、シャプランがそれらをいかに発展させてカトリック・フランスの聖戦賛美を歌ったか、さらにヴォルテールがそれらをいかに再利用し、論理の逆転やパロディ化を通して聖戦思想そのものの徹底的な否定を打ち出したかを示した。
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翻訳

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
アンテルナショナル・シチュアショニスト「一つの時代の始まり〔五月革命の権力〕」 共著 2000年 3月 インパクト出版会 木下誠(監訳)、石田靖夫、黒川修司、原山潤一、安川慶治。ギー・ドゥボールをはじめとするシチュアショニストたちが発行していた機関誌の翻訳。最終巻(第6巻)である本書は1968年の五月革命前後のフランスの状況を生々しく伝えるドキュメントでもある。北原ルミの担当箇所は「大いなるトリックの常連たち」「度を越した勧誘員たち」「何がICO[労働者情報通信]に嘘をつかせるのか?」「エリートと遅滞」「SIの金(続きと終わり)」「回収されたい者が回収される」「シャルル・フーリエの帰還」「鎮圧について」「告知」「ナントについて」「SIの歴史はもっと後に書かれるだろう」「われわれの普及について」「映画と革命」「SI第八回大会」(P288~P343)
Taeko KONO « Une littérature du manque d’amour » 単著 2001年11月 Europe(雑誌)第871-872号 『春琴抄』を中心とした谷崎潤一郎の作品についての、河野多恵子によるエッセイ。二人の主人公春琴と佐助の関係を分析しながら、谷崎自身のマゾヒズムにせまる。フランスの雑誌 « Europe »における谷崎潤一郎特集の一環として掲載された。(P101~P115)Jean-Marc SARALE氏の協力を得て訳出した。872号は2001年12月発行
ドミニック・ミエ=ジェラール「ポール・クローデルと日本 霊的および美的影響」 単著 2004年 3月 神戸海星女子学院大学研究紀要フランス語フランス文学科特別号 パリ・ソルボンヌ大学教授ドミニック・ミエ=ジェラール氏が2002年秋に神戸海星女子学院大学で行われた講演の通訳を北原が担当し、その際の原稿に注を付して発表したもの。(P173~P197)。カトリック詩人クローデルの神学的美学について研究をされているミエ氏が、本稿では、とくに日本の自然や芸術(俳句、日本画、能)、宗教(とくに神道)がクローデルの眼にはどのようにとらえられたのか紹介された。2004年3月10日
ジェラール・ブシャール『ケベックの生成と「新世界」-「ネイション」と「アイデンティティ」をめぐる比較史』 共著 2007年 4月 彩流社 竹中豊・丹羽卓(監修)、立花英裕、丹羽卓、柴田道子、古地順一郎。大規模な人々の移動(植民・奴隷等)によって、新しく生まれた「ネイション」は、どのようにしてその矛盾の中から「アイデンティティ」を得ようとし、葛藤してきたのか。本書は、ケベックに生まれた著者が、ケベックのみならずラテンアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカなどの「新世界」各国の事情を相互に比較しつつ検討しようとする壮大な試みである。北原ルミの担当箇所は第五章「オーストラリアにおける政治的解放とナショナル・アイデンティティ」(P251~P350)
アリエット・アルメル『ビルキス、あるいはシバの女王への旅』 単著 2008年10月 白水社 イタリア・ルネッサンスの画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの大作「聖十字架伝説」から発想を得た小説の翻訳である。このフレスコ画に描かれた人物の一人、シバの女王を主人公とする物語と、これを描く画家ピエロの物語が交錯し、からみあう設定になっている。旧約聖書に登場するシバの女王をめぐって、ユダヤ世界、イスラム世界、キリスト教世界で生み出されたさまざまな伝説が物語の材料として用いられ、またアッシジの聖フランチェスコや「黄金伝説」に代表される中世ヨーロッパの文化に、ルネッサンスの「遠近法」などの新思想が重なりあう様も、たくみに描かれている。多様な文化的財産のうえに築かれた、読み応えあるフィクションである。また、女王として一国を統治するビルキスと、ピエロの妻として影の存在にとどまるシルヴィアという、二人の女性の対照的な生を深く関係させることで、女性の社会的生き方を考えさせる小説とも言える。
「フランス啓蒙思想における笑いの科学」 共著 2010年 3月 笑いの科学, vol.2, ユーモア・サイエンス学会編 森下伸也氏による連載「笑いの思想史」の第二回、「フランス啓蒙思想における笑いの科学」において、『百科全書』における「笑い」の項目を北原が全文翻訳し、森下氏が解説を行われた。P37~P44 (訳は、P38~P41)
『幻想のジャンヌ・ダルク ―中世の想像力と社会』 共著 2014年 3月 昭和堂 フランスの中世史家コレット・ボーヌが、ジャンヌ・ダルクに関する近年の研究の成果を踏まえてまとめた大著である。監修:阿河雄二郎、共訳者:嶋中博章、頼順子、滝澤聡子。北原の担当箇所は、序と第一部(pp.1-81)で、ここではジャンヌをめぐる史料の問題、および、ジャンヌが公的な舞台に登場する以前のドンレミ村時代について取り上げられている。中世社会の具体的な生活のしくみや人々の心情が、史料の厳密な検証の中から浮かび上がってくる。ジャンヌの活躍が可能であった理由が、中世社会の実情に即して理解できるようになっている。
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