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フリガナフジモリ キヨシ
ローマ字FUJIMORI Kiyoshi
氏名藤森 清
メールfujimori@kinjo-u.ac.jp
学位博士(文学) 
所属文学部 / 日本語日本文化学科
職名教授
所属学会日本近代文学会 日本文学協会 
専門分野文学 ジェンダー 環境学   
研究課題文学、文化を対象にした日本の近代化の歴史的研究 日本近代における風景意識の研究 文学にあらわれた日本近代の異性愛体制の研究 

学会及び社会における活動等

開始年月 活動内容 終了年月
1986年 4月 東海近代文学会会員 現在に至る
1989年 4月 日本近代文学会会員 現在に至る
1993年 6月 日本文学協会会員 現在に至る
1995年 8月 日本比較文学会会員 2005年 3月迄
1996年 4月 日本文学協会運営委員 1998年 3月迄
1998年 4月 日本近代文学会評議員 2016年 3月迄
2000年 4月 日本近代文学会運営委員 2002年 3月迄
2005年 4月 日本近代文学会編集委員 2007年 3月迄
2010年 4月 日本近代文学会編集委員 2012年 3月迄
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受賞歴

該当データはありません

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著書

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
「日本文学研究資料新集14夏目漱石(反転するテクスト)」 共著 1990年 4月 有精堂 第1章 記号・メタファー・物語、「夢の言説」物語るという行為の根本的な意味を夢語りの言説によって考察した。「夢十夜」を叙法レベルで分析すると、夏目漱石が物語を語られたものとしての物語の本来の姿、その起源に帰すことによって夢の言説をつくりあげていることがわかる。学術論文「夢の言説」の再録。総頁数264頁(P43~P54)三宅雅明、高野実貴雄、藤森清他 総著者数22名
「語りの近代」 単著 1996年 1月 有精堂 日本の「近代文学」という文化的システムの実態を歴史的、文化的な視点から記述することを目的として、10の近代小説を「語り」という操作概念を使って分析した。おもに、その成立期(明治40年前後)と、その否定としてのモダニズム(昭和初期)の時期に焦点をあてることによって、システムとしての「近代文学」を支える規範・約束・慣習を、テクストおよびテクストを囲む文化のレベルで、明らかにした。博士論文とほぼ同内容。総頁数237頁
「メディア・表象・イデオロギー」 共著 1997年 5月 小沢書店 Ⅰ部 「明治35年・ツーリズムの想像力」 明治35年に書かれた永井荷風『地獄の花』と田山花袋『重右衛門の最後』を、明治30年代における周遊観光旅行的想像力の定着という文脈のなかで読み解いた。柳田国男の民俗学の胚胎、日本アルプスなど山岳への関心、旅行案内・紀行文のベストセラー化、各種内外「遊覧旅行」などの団体旅行の隆盛など、近代的旅としてのツーリズムの精神が文学という領域に与えた影響を論じた。総頁数338頁(P50~P71)小森陽一、紅野謙介、高橋修他 総著者数11名
「時代別日本文学史事典現代編」 共著 1997年 5月 東京堂出版 第1部3章 戦時下の文学 2<近代の超克>の位相 昭和17年のシンポジウム「近代の超克」(『文学界』)は、前年に勃発した太平洋戦争のイデオロギーに根拠を与えるものとして機能したとされている。本論では、このシンポジウムの内実を再検討し、近代の超克がイデオロギーとして力をもったという出来事の歴史的意味を論じ、フェミニズム批評やポストコロニアル批評の観点からの考察の必要性を説いた。総頁数488頁(P171~P179)東郷克美、日高昭二、藤森清他 総著者数51名
「総力討論 ジェンダーで読む『或る女』」 共著 1997年10月 翰林書房 シンポジウムの討論、および補論「『或る女』・表象の政治学」 有島武郎『或る女』(大正8年)の好評を支えた女性読者集団の歴史的な意味を論じた。島崎藤村『新生』(6年)と同様に、有島は『青鞜』以後の女性文学読者のよき理解者となることによって人格主義的文学者としての名声を確立するが、このときできあがった図式がその後ながく文学理解を支えてきたことを分析し、現在のフェミニズム的読解の問題点を指摘した。 総頁数263頁(P188~P206)中山和子、江種満子、山本芳明他 総著者数18名
「ジェンダーの日本近代文学」 共著 1998年 3月 翰林書房 企画編集および田山花袋「蒲団」の項の解説 本書はジェンダーの観点から日本近代文学を教えるための大学用テキストである。「蒲団」解説では、この作品が発表された当時流通していた「女学生」イメージや、セクソロジーによる「性欲」イメージを日本近代のジェンダー編成の観点から解説した。総頁数188頁(P54からP59)中山和子、江種満子、藤森清他 総著者数13名
「幸田文の世界」 共著 1998年10月 翰林書房 3study「近代家族観形成史のなかの『おとうと』」 近代日本の家族観形成の時期としては、1900年から1910年にかけての理念形成期、近代的家族観を信奉する新中間層が都市部に形成された1920年代、民主主義化による家族観再教育が農村部にまでひろがった1950年代が注目されている。『おとうと』は、1920年代を物語の舞台として、1950年代に書かれ読まれた。本論では、家族観形成史との関係を分析し、近代的家族観を体現するものとして読まれてきたこの作品が、そうした家族観に抗する力をもつことを指摘した。総頁数397頁(P312からP319)金井景子、小林裕子、中山昭彦他 総著者数30名
「岩波講座文学7 つくられた自然」 共著 2003年 1月 岩波書店 「崇高の10年―蘆花・家庭小説・自然主義」 西洋近代起源の崇高(サブライム)という審美概念が明治30年代から40年代の日本にどのように受容されたかを論じた。日本の場合、崇高という概念は、自然の発見というよりも、徳富蘆花、家庭小説、自然主義という道を通って、日本近代の中心的な物語的想像力として働きつづけたと考えられる。総頁数265頁(P139~P171)富山太佳夫、亀井秀雄、折島正司他、総著者数11名
「漱石のレシピ―『三四郎』の駅弁」 共著 2003年 2月 講談社 講談社+α新書。漱石の作品に描かれた、食の風景を解説した一般書。明治から大正にかけての日本近代の食文化の一断面を示すとともに、漱石における食の意味を読み解いた。総頁数211頁
「クィア批評」 共著 2004年12月 世織書房 9章「強制的異性愛体制下の青春」(学術論文「強制的異性愛体制下の青春」の再録)総頁数426頁(p343~p367)藤森かよこ、竹村和子、大橋洋一、小森陽一他、総著者数12名
夏目漱石『三四郎』をどう読むか 共著 2014年10月 河出書房新社 論文「青春小説の性/政治的無意識―『三四郎』・「独身」者の「器械」」の再録。(p157~p170)
「近代文学研究の方法」 共著 2016年11月 ひつじ書房 「語り論」の項。1990年代以降の近代日本文学研究における語り論の研究動向について歴史的観点から論じ、21世紀初頭の日本文学研究における方理論の可能性について提言した。『日本近代文学』89集「語り論」を改稿したもの(p2~p8)
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学術論文

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
「揺れる現在-庄野潤三論-」 単著 1983年 9月 名古屋近代文学 1号 庄野潤三の作品には、戸惑い・ためらい・逡巡の場面がひろく認められる。この広い意味での<迷い>は、庄野の現実認識の根幹にあり、彼の作品を生成する語りの方法とまでなっている。このことを時間論と関連づけながら論じた。(P46~P59)
「好み」と「運-庄野潤三論-」 単著 1984年12月 名古屋近代文学 2号 庄野潤三にとって「経験」のもつ意味を、作品集『静 物』の諸短篇および「秋風と二人の男」に詳しくたどり、分析した。経験が生起する意識という場にリアリティをみいだす庄野は、経験を安易に物語化することを拒み、具体的な経験の繰り返しがつくりだす日常生活の深さを描いたのである。(P83~P100)
「<語り>の機能-受容理論によって「山椒魚」を読む-」 単著 1986年12月 名古屋近代文学 4号 語りの重層化が一義的な読みを拒否するような読書空間を成立させることを考察した。井伏鱒二「山椒魚」の三人称の語り手は、神話的レベル、説話的レベル、近代小説的レベルを往還しながら、それらのどれからも距離をとったような地点から語る戦略性を備えている。これはモダニズムのなかで作家としての出発をはたした井伏が、意識的に選び取ったスタンスであったと考えられる。(P23~P37)
「夢の言説-「夢十夜」の語り-」 単著 1988年12月 名古屋近代文学 5号 物語るという行為の根本的な意味を夢語りの言説によって考察した。「夢十夜」を叙法レベルで分析すると、夏目漱石が物語を語られたものとしての物語の本来の姿、その起源に帰すことによって夢の言説をつくりあげていることがわかる。(P28~P41)
「<語り>の機能-「吉野葛」の場合-」 単著 1990年 5月 日本近代文学 第42集 近代小説における意識的な語りの手法の機能を考察した。谷崎潤一郎の「吉野葛」に確かめられる三重の語りの枠組は、近代作家のアイロニカルな自意識が十全に働くことのできる場として設定されていると考えられる。作家はこのアイロニカルな自意識としての語りの構造のなかではじめて、自らに物語的な物語としての王朝的な物語を語ることを許すのである。(P107~P116)
「「田舎教師」の自然描写-影響について自己言及的に語るテクスト-」 単著 1992年 7月 名古屋大学国語国文学 70号 描写におけるテクスト間の相互影響の問題を、影響についての「作家」の自意識の問題として考察した。田山花袋の「田舎教師」というテクストが藤村、国木田独歩の影響によって生じ、その影響についてきわめて自己言及的であるさまを分析した。(P29~P41)
「「蒲団」における二つの告白-誘惑としての告白行為-」 単著 1993年 5月 日本近代文学 第48集 告白という行為を語りの観点から考察した。言語行為としての告白の戦略性は、物語中のヒロイン横山芳子の手紙に顕著である。芳子は明治30年代の「新しい女」の一人である。小説における告白のモードの流行をつくりだした花袋「蒲団」の三人称の物語言説の戦略性を芳子の戦略性をモデルにして分析した。(P21~P33)
「平面の精神史-花袋「平面描写」をめぐって-」 単著 1993年11月 日本文学 第42巻第11号 「平面描写」という概念を明治30年代から40年代にかけての文化的コンテクストの中で考察した。花袋によって提出され、明治40年代の描写論を代表した「平面的」というメタファーは、パノラマの俯瞰的な視覚から局所的な視覚へと時代の視覚の様態が推移する過程でその力をえたのである。(P20~P27)
「語り手の恋-「道草」試論-」 単著 1993年12月 年刊日本の文学 2号 三人称の語り手の、語ることの語用論的な側面について考察した。漱石の唯一の自伝的小説「道草」の語り手が、三人称の語り手としての役割の影で、お住(鏡子夫人)との二者関係(恋愛)をその語用論的側面において語っているさまを分析した。(P66~P83)
「描写における語り-「破戒」の描写について-」 単著 1994年 1月 季刊文学 第5巻第1号 島崎藤村の「破戒」の自然描写をとりあげて、描写部における語りの実態を分析した。同時代の読みを参照しながら、近代西欧絵画の遠近法による空間認識を登場人物の視点を利用して構造化した語りの成立を論じた。(P115~P127)
「語ることと読むことの間-田山花袋「蒲団」の物語言説-」 単著 1994年 4月 解釈と鑑賞 第59巻4号 「蒲団」が同時代にひきおこした具体的な読書行為がどのようなものであったのかを、「堕落女学生」物語という当時流通していた解釈コードを参照し、テクストの統辞機能に注目しながら考察した。「蒲団」は叙述すること(語ること)と、描写すること(見ること・読むこと)が拮抗したテクストである。(P84~P89)
「作品の世界「丹下氏邸」」 単著 1994年 6月 解釈と鑑賞 第59巻6号 「丹下氏邸」は、基本的には都会の青年が田舎を訪れ、その生活に触れるという、牧歌の枠組みをもつ。しかし、作品の前半部の二つの描写では、都会から田舎へのパストラルな視線そのものを問題化しており、そこには、地方出身の都会生活者としての作者井伏の複雑な問題意識が読みとれる。(P105~P109)
「青春治的無意識-「三四小説の性/政郎」・「独身」の「器械」」 単著 1994年10月 漱石研究 3号 「三四郎」は、近代に特有の性、科学、ジェンダーの言説によって徹底的にプログラムされたテクストだといえる。本論では、このテクストのこうした性格を男性独身者のセクシャリティという観点から分析し、このテクストが根本的には男性性と科学テクノロジーのメタフォリカルな連関の力によって成立していることを指摘した。(P134~P149)
「『重右衛門の最後』とエキゾティシズム」 単著 1996年 3月 花袋研究学会会誌14号 田山花袋は日本の近代作家のなかでも西洋近代文学の影響を強く受けた作家であり、自らの作品を権威付けるために、その影響をたびたび作品なかで語った。ツルゲーネフからの影響に言及した『重右衛門の最後』には、西欧近代の枠組みを反復することによって、自国をもエキゾティックな対象として見いだしてしまう、文化的コロニアリズムとも呼ぶべき状況が出現するメカニズムを読み取ることができる。(P45~P53)
「風景の影―『武蔵野』・見ること・見ないこと」 単著 1996年 7月 名古屋大学国語国文学78号 国木田独歩『武蔵野』は、さまざまな意味で40年頃の自然主義の成立を準備した小説であるといえる。本論では、自然、細民、女性を「風景」として代理表象し、それを自然化してしまうメカニズムを、『武蔵野』中の諸短編に兆候的なレトリックの分析を通して明らかにした。独歩によって物語のレトリックとして示されたロマン主義的アイロニーは、のちに自然主義によってリアリズムの名を与えられることになる。(P35~P48)
「明治40年前後の身体管理技術」 単著 1997年 3月 金城国文73号 本論では、明治40年前後の言説空間のなかで、近代国民国家としての日本を支える中産階級という集団(それは一割にも満たない多分に理念的な想像上の集団であったが)が自己形成した過程を記述した。具体的には、田山花袋の『重右衛門の最後』、「少女病」、「蒲団」を素材にして、それらの記述の背後に認められる、中産階級の自己形成を促した身体管理の問題を論じた。(P1~P13)
「ナラトロジーは有効か」 単著 1997年 5月 国文学42巻6号 国文学研究(自国の文学研究)の根本的意味が問われる現在のアカデミズムの状況下で、文学研究がナラトロジー論から学んだ言説分析の方法的蓄積が大きな意味をもちうる可能性があることを論じた。近代文学研究におけるナラトロジー論の展開を整理し、言説分析を歴史の問題に接合しようとする3つの論文を分析することで、ナラトロジー論が歴史化の方向に開かれることで獲得される新たな可能性を具体的に示した。(P88~P94)
「藤尾はなぜ死ななければならなかったのか『虞美人草』」 単著 1998年 9月 アエラムック夏目漱石がわかる 『虞美人草』(明治40年)は、新聞連載小説として明治三十年代後半の新聞連載の家庭小説とテーマ、物語要素など多くの点で共通点をもっている。本論では、女性主人公・甲野藤尾の死が、同時代の家庭小説『金色夜叉』や『乳姉妹』の女主人公の死と同じ意味をもつことを指摘し、これらの女性キャラクターの背後に、形成途上の中産階級において消費の主体として位置付けられた女性たちの存在があったことを論じた。(P44~P47)
「欲望の模倣―武者小路実篤『友情』」、「ピグマリオン―徳田秋声『黴』坂口安吾『白痴』」 単著 2001年 2月 国文学46巻3号 近代の男/女の相互依存的な関係を規定している原型的な物語として、ホモソーシャルな異性愛体制下での男二人と女一人からなる三角関係物語と、ピグマリオン・コンプレックス(女性教育改造物語症候群)をとりあげて論じた。『友情』は、男性同性愛恐怖と女性嫌悪のなかで友情が成就される機構を描いた典型的な作品であり、『黴』「白痴」は、この二つの恐怖と嫌悪のなかでは女性がモノとしてしか見出されない状況を描いている。(P53~P55、P95~P97)
「杉浦明平『ノリソダ騒動記』」 単著 2001年11月 国文学46巻13号 『ノリソダ騒動記』を、第二次大戦後の「記録文学運動」の文脈のなかに置き、「記録性」という観点から近代小説のリアリズムを問い直し、日本の近代小説を革新しようとする杉浦の記録文学の特質を分析した。
「強制的異性愛体制下の青春――『三四郎』『青春』――」 単著 2002年 1月 文学(隔月)3巻1号 日本近代における強制的異性愛体制としてのホモソーシャル体制の浸透という文化史的観点から、夏目漱石『三四郎』、森鴎外『青年』を分析した。両作品とも、男二人女一人からなる三角関係を描きながら、西洋近代のホモソーシャル体制に認められる、女性嫌悪、男性同性愛恐怖を記述している。これは、日本近代において穂もソーシャル体制を描いた、ごくはやい例である。(P120~P133)
「近代男性独身者のセクシュアリティ」 単著 2002年 2月 科学研究費補助金(基礎研究(C)⑴)研究成果報告書「近代日本の文学言説におけるジェンダー構成の研究」(課題番号10610436) 明治40年代の3つの小説、「少女病」『三四郎』『黴』に描かれた男性主人公の女性に対する欲望のあり方を分析し、近代日本の異性愛体制の根本にある、男性の独身者的セクシュアリティの実態を論じた。最近ジェンダーの問題は、セクシュアリティの問題と不可分に結びついたものとして論じられるようになったが、本論もセクシュアリティの問題を通して日本近代のジェンダー構成をより具体的に問う研究の一環である。(P4~P16)
「カルチュラル[小説作法]スタディーズ」 単著 2003年10月 国文学48巻12号 徳田秋声『小説の作り方』と、石丸悟平『小説家志願』を通して、大正中期の文学ジャーナリズムのあり方を論じたコラム的な文章。(P32~34P)
「資本主義と文学―『明暗論』」 単著 2005年11月 漱石研究18号 夏目漱石の資本主義経済体制に対するスタンスを『明暗』の語りの分析を通して考察した。その際に、『明暗』にあらわれた資本主義体制文化にたいする見解が、同時代の近代資本主義研究者、ヴェルナー・ゾンバルトの見解との共通する点に注目した。(P44~P60)
「リバタリアン夏目漱石―個人主義と経済」 単著 2006年11月 国語と国文学83巻11号 明治40年の朝日新聞社入社前後の夏目漱石の作品には、個人主義の主張が顕著にあらわれている。従来正確に理解されてきたとはいいがたい漱石の独特な個人主義を、近年注目されつつあるリバタリアニズムの主張に関連させながら論じた。漱石は西欧近代の根幹にある「個人主義」という思想/生き方を理解した数少ない日本人の一人であった。(p35~45)
「廃墟としての日本近代文学―『武蔵野夫人の写実論』」 単著 2007年 1月 文学(隔月)8巻1号 大岡昇平の実質な職業作家第一作『武蔵野夫人』は、二つの点で日本近代文学の写実という概念に言及した作品となっている。ひとつは、近代文学が基盤とした“家庭”であり、これは明治30年代に民法施行にともないながら形成された。もうひとうは、近代文学の背景としての自然風景であり、明治30年前後に自然の発見として文学的に定着されたものである。前者については、小説展開の要に新民法の施行を置き、後者については武蔵野の風景描写の変遷をあつかうことで、偽装的な近代(写実)小説を意識的に作り上げている。(p181~193)
「風景と所有権―志賀と独歩の文学、蘆花の文学」 単著 2008年11月 日本近代文学79集 近代に成立した風景概念は、環境の経済的政治的側面を隠蔽することによって、環境を美的対象、思索のための象徴的な対象としてつくりあげた。環境の経済的側面の隠蔽は日本の場合、資本主義の台頭と、その理念の成文化と深い関係がある。資本主義的私的所有権の概念は、明治三十一年発布の明治民法においてはじめて成文化された。徳富蘆花は、明治三十年前後に志賀重昂、国木田独歩とともに日本の近代的風景概念の成立に深くかかわった。しかし、大正期に入ると風景概念に疑問をいだき、自然法思想にもとづく私的所有権の概念に立脚しながら、人間と環境との責任ある関係を模索した。蘆花にそれを可能にさせたのは、蘆花の血に流れる独立自営農民的心性であった。(p1~14)
異性愛/同性愛物語としての木下恵介『惜春鳥』 単著 2012年 3月 2011年度金城学院大学論集(3月発行分)人文科学編 木下恵介『惜春鳥』は、娯楽映画として製作発表されたが、戦後日本の昭和30年代のジェンダー構成をよく表す映画テキストとなっている。この映画からは、異性愛体制が、いかに同性愛的配置によって裏打ちされているかをよく読み解くことができる。あわせて、白虎隊伝承に見られる近代の神話の実態についても考察した。(p12~p26)
「オフェリヤ」「微笑」「嫉妬」「夢」 単著 2017年 5月 『漱石辞典』翰林書房 p323-324、p343-344、p360-361、p476-477。400字原稿用紙、20枚程度。夏目漱石が日本近代の異性愛体制を様々な局面から描き出していることを、4つの側面から論じた。先行研究やみずからのこれまでの論考をまとめたものではなく、新たな視点から問題設定し論じたものであるため、論文欄に加える。
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学会発表

題目/演目名等 発表年月 発表学会名等 概要
「「山椒魚」を読む」 1986年 7月 東海近代文学会第53回 例会 語りの重層化が一義的な読みを拒否するような読書空間を成立させることを考察した。井伏鱒二「山椒魚」の三人称の語り手は、神話的レベル、説話的レベル、近代小説的レベルを往還しながら、それらのどれからも距離をとったような地点から語る戦略性を備えている。これはモダニズムのなかで作家としての出発をはたした井伏が、意識的に選び取ったスタンスであったと考えられる。学術論文「<語り>の機能―受容理論によって「山椒魚」を読む」と同内容。
「物語と夢-「夢十夜」のナラトロジー-」 1986年11月 南山大学国語学国文学会 第15回講演会 物語るという行為の根本的な意味を夢語りの言説によって考察した。「夢十夜」を叙法レベルで分析すると、夏目漱石が物語を語られたものとしての物語の本来の姿、その起源に帰すことによって夢の言説をつくりあげていることがわかる。学術論文「夢の言説」と同内容。
「「蒲団」における二つの告白-戦略としての告白行為-」 1992年10月 日本近代文学会1992 年秋季大会 告白という行為を語りの観点から考察した。言語行為としての告白の戦略性は、物語中のヒロイン横山芳子の手紙に顕著である。芳子は明治30年代の「新しい女」の一人である。小説における告白のモードの流行をつくりだした花袋「蒲団」の三人称の物語言説の戦略性を芳子の戦略性をモデルにして分析した。学術論文「「蒲団」における二つの告白」と同内容。
「「重右衛門の最後」の語りの場-ツーリズム・民俗学」 1995年 5月 花袋学会1995年研究大会 自然主義小説のプレテクストとみなされる「重右衛門の最後」のつくりだす言説空間の特質を、エキゾティシズムという他者理解のありかたを参照しながら、分析した。田舎をツーリズム的な視点や、のちの民俗学と同質の視点から語るこの小説の言説空間こそ、「近代小説」の均質な言説空間を用意したものだといえる。
「明治40年前後の身体管理技術」 1996年11月 日本比較文学会第4回中部支部大会、シンポジウム「越境する身体―人種/ジェンダー/セクシュアリティ」パネラー 学術論文「明治40年前後の身体管理技術」とほぼ同内容の発表。
「『近代型男性独身者のセクシュアリティ』」 1998年11月 日本比較文学会第6回中部支部大会、シンポジウム「『男であること』と文学研究」パネラー 学術論文「近代男性独身者のセクシュアリティ」とほぼ同内容の発表。発表においては、近代男性のセクシュアリティを考察する場合の男性研究主体のポジショニングに関して問題提起する部分を含んでいた。
「シンポジウム「性の表象―ヘテロセクシズムの機構」司会」 2001年 6月 日本近代文学会春季大会 シンポジウム・テーマの企画立案の責任者を務め、当日のシンポジウムの司会進行を行った。
「風景と所有権と文学」 2008年 5月 日本近代文学会春季大会、シンポジウム「<環境のなかの表象と心」報告者 学術論文「風景と所有権」とほぼ同内容の発表。
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書評等

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
「小森陽一・石原千秋編「漱石研究 創刊号」」 単著 1994年 4月 解釈と鑑賞 第59巻4号 創刊された「漱石研究」の諸論文の内容と全体の傾向を分析し、あわせて現在の文学研究の現状のなかで、漱石を論じることがどのような意義をもちうるのかという問題を論じた。
「<特集>印象記」 単著 1994年 4月 日本近代文学会会報80 平成5年の日本近代文学会秋季大会(福島大学)の特集を論じた文章。
「佐々木英昭「新しい女の到来-平塚らいてうと漱石-」」 単著 1995年 4月 東海近代文学会会報 20号 いわゆる煤煙事件が、時代の男と女をめぐる様々な言説の諸力がせめぎあう場であったことを、膨大な関係文献の詳細な読み解きをとおして示した点に該当書の価値があることを記した。また、著者のフェミニズム批評、クイアー理論に立脚した研究姿勢の可能性について言及した。
「大橋洋一さんの元気のでる文学研究」 単著 1995年12月 日本文学 第44巻第12号 近代文学研究におけるフェミニズム批評やポストコロニアル批評の重要性を説いた。「子午線」欄ののための学会時評的文章。(P54~P55)
「90年代フェミニズムはお好き?-『真夜中の彼女たち』『フェミニズム批評への招待』 単著 1996年10月 日本近代文学55集 1970年代以降のフェミニズムの展開を概観し、90年代のフェミニズムが置かれている歴史的文脈を確認したうえで、『真夜中の彼女たち』と『フェミニズム批評への招待』の可能性と限界を論じた。たんなる書評ではなく、フェミニズムやジェンダースタディーズの可能性を論じた文章。(P255~P264)
「『黴』・もう一つのピグマリオン」 単著 1998年 3月 『徳田秋声全集』 (八木書店)月報3 徳田秋声『黴』(1911年)とバーナード・ショー『ピグマリオン』(1912年)が、進化論/退化論や女性教育改造物語症候群(ピグマリオン・コンプレックス)を共有する点で同時代性を備えていることを論じた。(P3~P5)
9月例会印象記 単著 1998年 4月 日本近代文学会会報88 平成9年の日本近代文学会9月例会(立教大学)における告白と文学の関係をめぐる二つの発表と講演を論じた文章。
「『都下女学校風聞記』を読む」 単著 1998年 7月 『東京人』130号 明治40年の『読売新聞』連載コラム「都下女学校風聞記」の記事を紹介しながら、当時の女学生風俗や、社会が女学生に向けた視線の意味を論じた文章。
「和田敦彦著『読むということ―テクストと読書の理論から』」 単著 1998年10月 日本文学47巻10号 『読むということ』の読者論、読書空間論としての価値を評価した書評。(P62~P63)
「田山花袋・少女病」解説 単著 1999年 3月 『近代小説・都市を読む』(双文社出版) 大学用テキストの解説。(P57~P58)
「石原千秋著『反転する漱石』」 単著 1999年 3月 成城国文15号 『反転する漱石』に集められた論考が1980年代の近代文学研究史上にはたした役割を論じた書評。テクスト論を実践した数少ない仕事の一つとして評価し、テクスト論を歴史的研究へと開く可能性を示した仕事であったことを指摘した。(P96~P98)
座談会「テクストと語らう技術―カルチュラルスタディーズと古典文学」 共著 2000年 4月 『テクストへの性愛術―物語分析の理論と実践』(森話社) 古典研究にカルチュラルスタディーズを応用する際の可能性と問題点を論じる座談会における基調報告と討議。研究主体の置き方についての方法論的提言、および古典を近代の構成とみなす視点の重要性を指摘した。(P12~P100)
「自然主義の荘厳」 単著 2001年 5月 週刊朝日百科世界の文学93・日本Ⅲ 自然主義文学をサブライム美学の観点から解説した文章。田山花袋「蒲団」、徳田秋声『黴』をそれぞれ性欲の告白、退化論の恐怖という観点から説明した。(P90~P91)
「夏目房之介『漱石の孫』」 単著 2002年 7月 潮533号 『漱石の孫』の紹介。(P297)
「松井貴子著『写生の変容』」 単著 2002年10月 日本近代文学67集 日本近代の描写論史の流れの中で、『写生の変容』を評価した書評。(P201~P204)
「吉本隆明著『夏目漱石を読む』――文学の本質を問う営為」 単著 2003年10月 漱石研究16号 吉本『夏目漱石を読む』を、日本の近代文学の本質的な問題を問う姿勢が一貫して現れた書として、高く評価した。(P186~P189)
ロング新書『一冊で名作がわかる夏目漱石』 共著 2007年 3月 KKロングセラーズ 夏目漱石の作品の梗概を集め解説した本の監修、およびコラム「ここが読みどころ」12項目の執筆。
小平麻衣子著『女が女を演じる』 単著 2008年11月 語文132輯 フェミニズム批評を正しく継承した優れた言説分析研究として『女が女を演じる』を評価した書評。
語り論 単著 2013年11月 日本近代文学89集 フォーラム欄に向けて書いた、近代文学研究における語り論の動向について総括し、今後の可能性、展望を論じた。(P209~P213。原稿用紙12枚程度)
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博士論文

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
「近代小説における「語り」序説」 単著 1995年 1月 名古屋大学大学院文学研究科に提出。 日本の「近代文学」という文化的システムの実態を歴史的、文化的な視点から記述することを目的として、九つの近代小説を「語り」という操作概念を使って分析した。おもに、その成立期(明治40年前後)と、その否定としてのモダニズム(昭和初期)の時期に焦点をあてることによって、システムとしての「近代文学」を支える範囲・約束・慣習をテクストおよびテクストを囲む文化のレベルで、明らかにした。
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辞典項目執筆

著書名 単著、
共著の別
出版年月 発行所・発表雑誌等 概要
「夏目漱石研究のために(「解釈と鑑賞」)」 単著 1995年 4月 至文堂 越智治雄「漱石私論」、前田愛「都市空間のなかの文学」の項目の執筆担当。総頁数189頁(P93.P119)石原千秋、石崎等他 総数36名
「知のプロジェクト―批評理論の転回(「国文学」)」 単著 1998年 9月 学燈社 フランク・K・シュタンツェル『物語の構造』、川村湊『海を渡った日本語』の項の執筆担当。総頁数188頁(P36~P37.P60~P61)柄谷行人、関礼子他 総数34名
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